厨城山(540m)
2021年5月15日(土) 晴れ
若須岳を降りて越前西部林道2号線を北上(12:35)

ここが反対側の若須岳登山口(越前自然歩道)のようだ。

越前西部林道は越前市中津原町から福井市大味町までの約64.3㎞。

途中越前海岸側への枝林道があったが、一段と幅員が狭く、通行可能かどうかも分からないので、2号線終点の越前町上山中(R365)まで行くことにする。
所々このような落石箇所もあるのでスピードは控えめに。

なお2日後の5/17に、この一帯に土砂災害警戒レベル3の大雨が降ったのでご注意を。
福井県の主要な林道における通行状況
熊谷トンネル(県道4)上部を通過した辺りから、若干道幅が広くなる。

休憩所らしき施設が見えてきた(12:52)

ここは越前西部林道2号線の中間地点。

バイオマストイレも設置されている。

眼下には大樟(おこのぎ)・小樟(ここのぎ)漁港の防波堤が望める。

この一帯には梅浦、宿浦、新保浦、小樟浦、大樟浦といった港があり、平成の大合併前の旧越前町は、かつて四ヶ浦町と呼ばれていた。
12:57 厨(くりや)城山登山口(標高約455m)

今日の3座目。駐車場は15台分ほどと広い。
南北朝期から戦国期にかけて栗屋(厨)城という山城があったのが山名の由来。

三角点のある小城山(513m)と愛染明王社のある城山(540m)の双耳峰で、

鳥居の先の階段が小城山に至る遊歩道で、左の舗装路のどちらでも城山に至る。

看板が左の舗装路を示していたので、こちらから登ってみる(13:00)

タニウツギ(谷空木)

スイカズラ科タニウツギ属の落葉小高木。
13:07 遊歩道合流点(標高約490m)

ここで右からくる遊歩道と合流。
小城山と城山間の馬の背と呼ばれるヤセ尾根にはベンチもあるが、少し荒れ気味。

東屋もあった。

13:13 城山参道入口(標高約515m)

ここまで車で来ることも可能なようだ(笑)
品野久吉翁之像と銘のある石像。

台座には元衆議院議員の故植木庚子郎氏による翁顕彰文が記されていた。

帰宅後色々調べてみたが品野翁の詳細は不明で、顕彰文の内容から想像するに、旧四ヶ浦町の町長あたりじゃないかと思われる。ご存じの方、ご教授下さい。
今も崇敬を集めているのか、お酒やお茶が供えられていた。
なお植木庚子郎は同じ丹生郡の旧清水町(福井市)の出身で、福井中学(現藤島高)を首席で卒業し、東京帝国大を経て大蔵省に入省した超エリートで、池田・佐藤内閣で法務大臣、田中内閣で大蔵大臣を歴任した。
栗屋城は鎌倉期に越前守護代の島津忠綱(越前島津氏祖)が築いたとされる。

「城山史蹟案内」によると、南北朝期には元々北朝方の拠点だったが、南朝方の新田義貞、滋野与市吉信らに攻められて落城。その際おびただしい屍が別司川沿いの谷を埋め尽くしたとされ、死人谷という地名が残っているとされる。
また「太平記」では、新田義貞軍討伐の功労者で、尊氏没後に室町幕府の実権を掌握した足利(斯波)高経が貞治の変(1366年)で失脚し、領国の越前(杣山城)に逼塞させられた際、高経の子で幕府初代管領だった斯波義将(よしゆき)も同行し、この栗屋城に拠ったとされる。
鳥居を潜って愛染明王社のある山頂へ(13:14)

ブナの自然林が実に見事。

駐車場の石碑(城山記)にもあったが、これらのブナ林は古来より航路標識(山アテ)として漁民たちから重宝されたそうだ。
13:17 (厨)城山山頂(愛染明王社)(標高約540m)

標識通り鳥居から3分で到着。ここにも誰もいなかった。
栗屋城の主郭部分で、戦死者を弔うべく愛染堂が建立されたのが起源。

周囲にカツラの木はなかったので、愛染かつら(←古っ)ならぬ愛染ブナ?!(笑)
愛染明王は密教における如来の命を受けて衆生を教化する明王の1つ。

外見は煩悩や邪心を追い払う憤怒相だが、内面は慈愛の心を秘め、愛欲に染まる衆生をそのまま解脱(=煩悩即菩提)させる愛の明王とされる。
また六臂(ろっぴ=6本の腕)の左右第2手に持つ智慧の弓と方便の矢は、衆生に愛と尊敬の心を与えて幸運を授けるとされ、例えるなら密教版の愛のキューピッド。
明王のお手を煩わせないよう1つでも煩悩を払うべく、梵鐘を突きます(笑)

何度か落雷による火災で焼失し、現在のお堂や明王像は戦後に再建された。

恋愛成就、家庭円満、商売繁盛、女性の美貌増進などの御利益があるとされる。
現在は木々に囲まれているため、旧織田町(越前町)方面が僅かに見えるだけ。

眺めもないのでとっとと下山(13:23)

13:29 遊歩道分岐点(標高約490m)

小城山にも寄っていこう。
直進すると駐車場に至るようだが、小城山は右へ。

緩やかに登っていく。

ベンチが見えてきた。

13:35 小城山山頂(512.72m)

ここも栗屋城の曲輪の1つだったとされる。
山座同定盤には白山が記されているが、木々に囲まれて全く見えない。

三角点(三等:小城山)タッチ。

フジ(藤)

マメ科フジ属のつる性落葉木本で日本の固有種。別名ノダフジ。同属のヤマフジ(右巻き)と混同しやすいが、蔓の巻き方(左巻き)などで区別可能。
合流点には戻らずに、遊歩道の先を進む(13:36)

最近はあまり整備されていないのか、下草が茂った場所も。

疑木の階段がなければほとんど獣道状態。

分岐からくる遊歩道に合流(13:41)

小城山にいくのであれば、分岐点側からの方がベター。
13:42 厨城山登山口(標高約455m)

ここでも誰とも出会わなかった。
越前町上山中まで越前西部林道を走り、R365で帰宅する。
☆アクセス☆
やっぱり、山っていいね!
厨城山(540m)・小城山(513m)
標高差95m
登り 23分、下り 12分 TOTAL 42分
出会った人 なし 出会った動物 なし
2021年:30・31座目
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若須岳を降りて越前西部林道2号線を北上(12:35)

ここが反対側の若須岳登山口(越前自然歩道)のようだ。

越前西部林道は越前市中津原町から福井市大味町までの約64.3㎞。

途中越前海岸側への枝林道があったが、一段と幅員が狭く、通行可能かどうかも分からないので、2号線終点の越前町上山中(R365)まで行くことにする。
所々このような落石箇所もあるのでスピードは控えめに。

なお2日後の5/17に、この一帯に土砂災害警戒レベル3の大雨が降ったのでご注意を。
福井県の主要な林道における通行状況
熊谷トンネル(県道4)上部を通過した辺りから、若干道幅が広くなる。

休憩所らしき施設が見えてきた(12:52)

ここは越前西部林道2号線の中間地点。

バイオマストイレも設置されている。

眼下には大樟(おこのぎ)・小樟(ここのぎ)漁港の防波堤が望める。

この一帯には梅浦、宿浦、新保浦、小樟浦、大樟浦といった港があり、平成の大合併前の旧越前町は、かつて四ヶ浦町と呼ばれていた。
12:57 厨(くりや)城山登山口(標高約455m)

今日の3座目。駐車場は15台分ほどと広い。
南北朝期から戦国期にかけて栗屋(厨)城という山城があったのが山名の由来。

三角点のある小城山(513m)と愛染明王社のある城山(540m)の双耳峰で、

鳥居の先の階段が小城山に至る遊歩道で、左の舗装路のどちらでも城山に至る。

看板が左の舗装路を示していたので、こちらから登ってみる(13:00)

タニウツギ(谷空木)

スイカズラ科タニウツギ属の落葉小高木。
13:07 遊歩道合流点(標高約490m)

ここで右からくる遊歩道と合流。
小城山と城山間の馬の背と呼ばれるヤセ尾根にはベンチもあるが、少し荒れ気味。

東屋もあった。

13:13 城山参道入口(標高約515m)

ここまで車で来ることも可能なようだ(笑)
品野久吉翁之像と銘のある石像。

台座には元衆議院議員の故植木庚子郎氏による翁顕彰文が記されていた。

帰宅後色々調べてみたが品野翁の詳細は不明で、顕彰文の内容から想像するに、旧四ヶ浦町の町長あたりじゃないかと思われる。ご存じの方、ご教授下さい。
今も崇敬を集めているのか、お酒やお茶が供えられていた。
なお植木庚子郎は同じ丹生郡の旧清水町(福井市)の出身で、福井中学(現藤島高)を首席で卒業し、東京帝国大を経て大蔵省に入省した超エリートで、池田・佐藤内閣で法務大臣、田中内閣で大蔵大臣を歴任した。
栗屋城は鎌倉期に越前守護代の島津忠綱(越前島津氏祖)が築いたとされる。

「城山史蹟案内」によると、南北朝期には元々北朝方の拠点だったが、南朝方の新田義貞、滋野与市吉信らに攻められて落城。その際おびただしい屍が別司川沿いの谷を埋め尽くしたとされ、死人谷という地名が残っているとされる。
また「太平記」では、新田義貞軍討伐の功労者で、尊氏没後に室町幕府の実権を掌握した足利(斯波)高経が貞治の変(1366年)で失脚し、領国の越前(杣山城)に逼塞させられた際、高経の子で幕府初代管領だった斯波義将(よしゆき)も同行し、この栗屋城に拠ったとされる。
鳥居を潜って愛染明王社のある山頂へ(13:14)

ブナの自然林が実に見事。

駐車場の石碑(城山記)にもあったが、これらのブナ林は古来より航路標識(山アテ)として漁民たちから重宝されたそうだ。
13:17 (厨)城山山頂(愛染明王社)(標高約540m)

標識通り鳥居から3分で到着。ここにも誰もいなかった。
栗屋城の主郭部分で、戦死者を弔うべく愛染堂が建立されたのが起源。

周囲にカツラの木はなかったので、愛染かつら(←古っ)ならぬ愛染ブナ?!(笑)
愛染明王は密教における如来の命を受けて衆生を教化する明王の1つ。

外見は煩悩や邪心を追い払う憤怒相だが、内面は慈愛の心を秘め、愛欲に染まる衆生をそのまま解脱(=煩悩即菩提)させる愛の明王とされる。
また六臂(ろっぴ=6本の腕)の左右第2手に持つ智慧の弓と方便の矢は、衆生に愛と尊敬の心を与えて幸運を授けるとされ、例えるなら密教版の愛のキューピッド。
明王のお手を煩わせないよう1つでも煩悩を払うべく、梵鐘を突きます(笑)

何度か落雷による火災で焼失し、現在のお堂や明王像は戦後に再建された。

恋愛成就、家庭円満、商売繁盛、女性の美貌増進などの御利益があるとされる。
現在は木々に囲まれているため、旧織田町(越前町)方面が僅かに見えるだけ。

眺めもないのでとっとと下山(13:23)

13:29 遊歩道分岐点(標高約490m)

小城山にも寄っていこう。
直進すると駐車場に至るようだが、小城山は右へ。

緩やかに登っていく。

ベンチが見えてきた。

13:35 小城山山頂(512.72m)

ここも栗屋城の曲輪の1つだったとされる。
山座同定盤には白山が記されているが、木々に囲まれて全く見えない。

三角点(三等:小城山)タッチ。

フジ(藤)

マメ科フジ属のつる性落葉木本で日本の固有種。別名ノダフジ。同属のヤマフジ(右巻き)と混同しやすいが、蔓の巻き方(左巻き)などで区別可能。
合流点には戻らずに、遊歩道の先を進む(13:36)

最近はあまり整備されていないのか、下草が茂った場所も。

疑木の階段がなければほとんど獣道状態。

分岐からくる遊歩道に合流(13:41)

小城山にいくのであれば、分岐点側からの方がベター。
13:42 厨城山登山口(標高約455m)

ここでも誰とも出会わなかった。
越前町上山中まで越前西部林道を走り、R365で帰宅する。
☆アクセス☆
やっぱり、山っていいね!
厨城山(540m)・小城山(513m)
標高差95m
登り 23分、下り 12分 TOTAL 42分
出会った人 なし 出会った動物 なし
2021年:30・31座目
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