吉備路探訪⑥ 備中高松城

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Byよっし~

犬墓山鬼城山を降りて帰路につく。
時間もまだ早いので、岡山市北区にあるこのスポットへ。

(備中)高松城跡国史跡
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毛利攻めの総大将だった羽柴秀吉水攻めを行なったとして有名。
香川県の高松城と区別するため、備中高松城と呼ばれることが多い。
続日本100名城にも選ばれている。
 
中国侵攻を目論む織田軍に対抗する毛利氏の前哨基地、備中七城の中核。
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駐車場近くにある水攻め堰堤(8.4m)本丸の高さ(7m)を比較した看板。
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三の丸跡
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当時、高松城は周囲を低湿地帯に囲まれた平城で、石垣は築かれず土塁によって防御。
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これらが天然の要害となる難攻不落の城で、攻城戦は持久戦となった。
そこで秀吉軍は軍師の黒田官兵衛(孝高)の献策で、城を堰堤で囲んで水攻めにするという奇策に着手。

地元の方が作られた水攻音頭なる歌碑があった(笑)
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この水攻音頭、備中高松城での攻防の様子がよく分かる傑作だと思う。

水攻音頭
一、時は天正のその昔
天下制覇の信長が
中国毛利を討つために
羽柴秀吉将となす
二、破竹の勢なる敵兵の
進路封ぜし高松城
知勇の誉れいや高き
清水宗治こゝにあり
三、攻めあぐみたる秀吉が
謀るは水攻め降る雨に
二十六丁の土堤を築き
足守川の水を引く
四、増えゆく水の心なく
寄せくる水面波高し
城兵五千その頬に
降るは涙か五月雨か
五、今は武士(もののふ)道一つ
なんでこの身を長らえん
主家城兵の安泰と
散るや宗治いさぎよき
六、巡る歳月幾年か
松風さわぐ城跡に
武士の鑑と歌われて
吾が高松の華と咲く 
※二十六丁(町)≒2.83km


高松城址公園資料館
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入場無料だが、芳名帳に要記名。

ボランティアの方が高松城攻防戦をジオラマやパネルで解説してくれる。
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清水宗治公像
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元々三村氏譜代の石川氏の重臣だったが、毛利氏による備中平定の際の軍功により高松城城主となる。

高松城址公園資料館
料金:無料 営業時間:10:00~15:00 定休日:月曜・年末年始

二の丸跡
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先ほど歩いてきた犬墓山鬼城山
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もし清水宗治がこの備中高松城でなく、鬼ノ城を守備していたら、その後の歴史が大きく変わっていたかも。

本丸跡
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確かに天守台や櫓台のような石垣もなく、堰き止められた水が押し寄せてきたら、どうすることもできなかっただろう。

本丸跡には清水宗治公の首塚がある。
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清水宗治公自刃之地
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「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
城内の将兵や主家毛利家を守るため、小舟の上で45歳の一生を終える。合掌

ごうやぶ遺跡
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自刃之地脇の田んぼの中にあり、主君宗治を追って家臣が殉死した場所だとされる。

蛙ヶ鼻(かわずがはな)(国史跡
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秀吉が築いた水攻め堰堤が唯一残っている。

蛙ヶ鼻周辺は道幅が細く、入り組んでいるので最上稲荷の大鳥居に駐車。
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堰堤は全長約2.7km高さ約8m底部約24m上部約12mと謂われているが、
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最近の研究では、蛙ヶ鼻から3町(約300m)、高さも2m程度だったという説が有力。

築堤当時の地表面、盛土、土俵の縄目跡などが保存展示されている。
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明治期のJR吉備(桃太郎)線開通や低湿地の埋立などで切り崩されてしまい、現在はこれだけになってしまった。

秀吉本隊が着陣し高松城を包囲したのが天正10(1582)年4月15日で、何度か攻撃を試みるも低湿地帯に兵馬の行く手を遮られ失敗。そこで正攻法ではなく、水攻めを行なうことを決意し、5月8日から築堤工事が始まり、12日後の5月19日に堰堤が完成するという異例の早普請だった(日付はいずれも旧暦)
褒美を餌に近在の百姓たちを動員したとされるが、莫大な人員を確保し、かつ毛利方の攻撃をかわしながら、僅か12日間で2.7kmもの堰堤を築くのはさすがに不可能と思われる。

現在でも高松城周辺は低地で、1985(昭和60)年の大雨では水攻めの如く水没した。
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つまりそこまで長大な堰堤がなくても水攻め可能で、300mであれば12日間での築堤も現実味を帯びてくる。

12日間の早普請もスゴいが、築堤にあたっては企画立案現地検分測量設計工事費積算人員の手配など綿密な準備が必要で、これらを着陣から僅か3週間で行なったという点の方がもっとスゴい!
これも黒田官兵衛(孝高)、羽柴秀長、石田三成などといった優秀なブレインたちがいたからなのだろうが、その後の和議成立、中国大返しも含め、スピード感がハンパない。
一芸に秀でた家臣を登用しただけでなく、”時は金なり””走りながら考える”といった現代のビジネスにも通用するようなビジネスモデルを信長から学んでいたのだろうが、この尋常じゃない速さは事前に何かを計画していた(本能寺黒幕説)と疑われても仕方ない。

堰堤が完成したのが5月19日(新暦では6月9日)
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折しも梅雨時で足守川が増水し、みるみるうちに高松城は水没したとされるが、
約188ha(188万㎡)もの広大なエリアを水没させるには、それなりの時間が必要。
下記の試算結果から考えると、水深1m水没させるには例年通りの降雨量でも最低3日以上はかかる。

黒田官兵衛の水攻めを徹底検証!(PDF)
この検証をしたのは、なんと宮城県の中学2年生!
水没エリア面積で通説との差異はあるが、水没に必要な水量、流域面積による流量などから必要日数を算出し、集中豪雨や年間降水量のバラつきまで考慮している優れた研究です。

21日には毛利輝元、吉川元春、小早川隆景の毛利本隊が着陣するも膠着状態となり、
6月2日本能寺の変を迎える。
翌3日夜に秀吉側が毛利方に先がけて察知し、4日にすぐさま和議を提案し、
同日、宗治が自刃して和議が成立。
秀吉は中国大返しを経て、天下獲りへの道を突き進んでいく。

堰堤の背後にある石井山(60m)には、秀吉本陣や黒田官兵衛陣があったとされる。
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秀吉が腰掛けたとされる太閤岩などがあるが、今回は時間がないのでパス。

日本史上初、前代未聞の水攻めに城内は大パニックになっていたと推測できるが、
結果論だが、和議交渉当日の条件受諾はあまりにも早計だったと悔やまれる。

和議成立には毛利方の外交僧安国寺恵瓊が大きくかかわっており、城主切腹という通常なら数日かかってもおかしくない厳しい条件の和議を即日に成立させたことが不自然。慎重に検討するため、時間がかかるのが普通なのに、むしろ積極的に加担した節さえある。
信長弑殺の報せが毛利方に伝わったのは宗治自刃直後の4日夕刻であり、和議成立があと数時間遅かったら、和議自体が破談になっていたのは必至。

通説では当初の五ヶ国(備中・備後・美作・伯耆・出雲)割譲から、三ヶ国(備中・美作・伯耆)に条件が緩和されたからだとか、信長自らが安土を出陣し備中に向かっているという情報(秀吉側が流布?)を得ていて、敵に容赦のない信長の着陣前に成立させたいという思惑からとされているが、恵瓊は元春・隆景にも相談せずに直接和議を纏め上げており、毛利家家臣の身としては明らかな越権行為である。
また信長弑殺の報を受けた後の「秀吉追撃すべし!」という声が多い中、小早川隆景の追撃しないという主張も、その後豊臣政権で信任ぶり(五大老)をみると不自然である。

やはりこの二人は既に、秀吉の毒饅頭(調略・共謀)を食べていたのだろうか?

その後隆景は毛利本家を守るため、秀秋を養子に迎える羽目になり、恵瓊は関ヶ原敗戦で斬首となったのは、この毒に蝕まれたせいなのかも(笑)
陰謀説の真偽は定かではないが、情報戦スピードに優った秀吉が戦いを制したことは間違いない。

山陽道、中国道、舞若道と進んで帰路につく。
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今回の吉備路探訪で、吉備の奥深さを実感。
是非また機会を作って訪れたい!

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Comments 2

タケキャブ  

初めまして。
歴史上重要ポイントとなった城はやはり興味深いですね。
1度行ってみたいと思いながらがなかなか遠く、時間ばかり過ぎてしまいましたが記事を読んで旅行の計画を立て始めています。

2018/03/29 (Thu) 10:05 | EDIT | REPLY |   

よっし~  

Re: タイトルなし

タケキャブさん はじめまして
コメントありがとうございます。

この備中高松城は以前から訪れたかった城で、ようやく訪問することができました。
水攻めのことは学んでいましたが、実際に蛙ヶ鼻の堰堤跡に立つと、なるほどこんな風に攻城したんだなと実感しました。

タケキャブさんも歴史好きのようなので、備中高松城に加え、備中松山城もおススメです。

2018/03/29 (Thu) 12:21 | EDIT | REPLY |   

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