2017年5月27日(土) 晴れ

お遍路結願の御礼参り高野山へ。

弘仁7(816)年に空海(弘法大師)が嵯峨天皇より下賜され、以後1200年間に渡り、
高野山真言宗の総本山として栄えた日本最大級の宗教都市。

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厳密には高野山という山はなく、転軸山や摩尼山など八つの峰に囲まれた地域の総称。
高野山にはこれまで二度訪れており、今回が3回目。
 
九度山からR370を進み、矢立茶屋(60町石)からR480へ(8:10)
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この付近で、高野山町石道(ちょういしみち)と呼ばれる参道と交差する。
町石道と交差する箇所では、横断するハイカーや遍路者に注意。

高野山上の壇上伽藍・根本大塔(1町)を起点に、麓の慈尊院(180町)までの約22kmの区間に、
町石(ちょういし)と呼ばれる標石が1町(約109m)ごとに設置されている。

実は慈尊院から町石道を登るプランも検討し、ハイク可能な準備はしているのだが、
根本大塔までの標準CTは6時間
下りは南海電車で降りるとしても、奥の院滞在を含めると。最低9時間近くかかる計算。
今回は日帰りの強行軍なので、車で向かうことにした。

東京スカイツリーと同じ高さ(標高634m)という看板。
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大門脇を抜けて高野山の門前町へ(8:24)
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入ってすぐのところにある愛宕第1駐車場(無料)を利用。
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この先の壇上伽藍や金剛峯寺付近や、奥の院に一番近い中の橋にも無料駐車場があるが、
町石道を歩かなかった罪滅ぼしとして奥の院から一番遠いここに停めた(笑)

3週間ぶりに白衣輪袈裟を装着。
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白衣の下は、いつものハイクスタイルです(笑)

奥の院までは片道2.9km
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早朝のせいか観光客の姿は少なく、出会っても外国人旅行者がほとんど。
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町石1番石(慈尊院側)
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ここが町石道の終点だが、奥の院はまだまだ先。

中門(壇上伽藍)(世界遺産)
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この先に金堂や根本大塔など高野山の中枢施設があるが、帰りに寄ることにする。

金剛峯寺(世界遺産)
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高野山真言宗の総本山。元々は高野山全体を金剛峯寺と呼んでいた。

金剛峯寺付近の駐車場もまだ空車だった。
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やっぱりここに停めれば良かったかな?(笑)

なんと、ここまですれ違った人の約8割外国人旅行者
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世界遺産に登録されていることもあるのだろうが、いったい日本人は何処に??

Why Japanese people are there not here?
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5ヶ国語を操る私は、外国人たちと挨拶を交わしながら進んで行く。
英語、ドイツ語、日本語(標準語)、福井弁、広島弁の5ヶ国ですが(笑)

9:02 一の橋(標高約800m)
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ここから奥の院の領域となり、この先は飲食や喫煙等は禁止。

一服して、手水舎で手や口を清めてから参詣(9:07)
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奥州仙台藩伊達家・伊予宇和島藩伊達家墓所
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伊達正宗公の子、秀宗公を祖とする宇和島藩伊達家の墓所も併設。

加賀藩前田家墓所
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さすが加賀百万石の前田家で、利家公とまつ、2代藩主利長公の墓所も別にある。

薩摩藩島津家墓所
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島津家も奥の院内に合計3箇所の墓所がある。

参道には、全国の名だたる大名家の墓所や供養塔がずらりと並んでいる。
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私のご先祖様も祀られています(大ウソ)
一説によると、戦国大名の6割以上が祀られていると謂われる。

八代将軍吉宗公之墓
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真新しい標柱は最近建てられたそうで、吉宗公墓所の真偽は不明。
なおこの先に紀州徳川藩の墓所(2・3・4・6代藩主)もあるが、5代藩主が抜けているのは
5代が吉宗公だからだそうだ。

ここでも歩いているのは圧倒的に外国人が多い。
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Why Japanese people are there not here?
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もういいって!(笑)

武田信玄公・勝頼公墓所
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中央奥、左の大きい五輪塔が信玄公、右が勝頼公。
宿敵のライバル、上杉謙信公・景勝公の墓所は参道を挟んだ反対側にある(笑)

阿波徳島藩蜂須賀家墓所
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蜂須賀正勝(小六)の孫、徳島藩初代藩主の至鎮(よししげ)公が祀ってある。

参道沿いには樹齢200~600年、約1300本の大杉(県天然記念物)が植えられている。
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中でも樹形や材質に優れた木々は、優良な種子穂木を確保する目的で、農水大臣が定める
特別母樹林にも指定されている。

石田三成公墓所
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三成公が30歳の頃、生前葬として自ら建てたものと謂われている。
ちなみに右隣が伊達正宗公、左隣が明智光秀公の墓所。

9:17 中の橋(標高約797m)
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一の橋から中の橋まではほぼフラットで、若干下っている。

以前来た時は、結構ヒーヒー言っていた記憶があるが、今思うと全然楽チン(笑)
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中の橋周辺には大企業の墓所が集まっている。
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この日ある大企業の法要が行われるようで、総務担当者が一生懸命準備されていた。
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安芸広島藩浅野家墓所
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安芸広島藩初代藩主、長晟(ながあきら)公の石塔は、奥の院で2番目に大きい。
一説によると、高齢出産で産後の肥立ちが悪く亡くなった正室の振姫の墓とも言われている。

結城(松平)秀康石廟
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徳川家康の次男でありながら将軍になれなかった福井(北ノ庄)藩の藩祖、結城秀康公(右)と、
その生母長勝院(於万の方・左)を祀った石廟は、全て越前産の笏谷石製(重要文化財)

豊臣家墓所
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豊臣秀吉公を始め、母の大政所、弟の大納言秀長公などが祀られている。
跡継ぎの秀頼公とその母淀殿の墓所は別の場所にある。

織田信長公墓所
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信長公は延暦寺焼き討ちに続き高野山にも侵攻し、高野聖(こうやひじり)たちを惨殺した
謂わば憎き仏敵だったが、現在は御廟に近い一等地に祀られている。
仇敵であっても、死ねば皆、仏(ほとけ)として祀る日本人の死生観が感じられる。
例えるならイスラム教の聖地メッカに、十字軍遠征を提唱した教皇ウルバヌス2世の墓所
を祀るような感じで、外国人たちには到底理解できないかもしれない。

左隣にはなぜか筒井順慶公の供養塔。
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本能寺の変後、光秀方の加勢依頼を静観したこと(洞ヶ峠を決め込む)が、
秀吉勝利(信長公の敵討ち)の一因にもなったとされるので、そのためなのかな?

9:32 御廟橋(標高約800m)
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ようやく日本人が目立ってきた。
一の橋から歩く外国人や私と異なり、日本人は中の橋からショートカットする人が多いようだ。
嘆かわしいことだ(笑)

高野山御礼参りの旅② 高野山奥の院 後編 につづく・・・


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