先日、足掛け17年に渡るお遍路の旅が結願(けちがん)
88箇所の札所は全て参拝したが、これで終了ではない。

弘法大師(空海)様が開かれた真言宗の総本山、高野山奥の院に参拝し、
遍路旅の御礼参りをして、ようやく満願成就となる。
一般的な納経帳には1番札所の前に御朱印欄があり、0番札所とも呼ばれる。

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なお、「おい、ウチの若いモンを可愛がってくれたそうだな」という御礼参りとは違う(笑)
この日の北陸はすっきりしない予報だったので、山行を諦めて御礼参りの旅に変更。
 
福井から高野山のある和歌山県は片道約250km。
日帰りなので高速利用が一般的だが、吝嗇家の私は今回もシタミチを利用。
深夜の国道(R8→R161→R1)を走り、大阪府に入る。

小腹が空いてきたので、寝屋川市内で夜食(0:50)
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丸福ラーメン定食(920円+税)
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食べ過ぎると眠くなってくるので、替え玉はパス(笑)

R170(大阪外環状線)を南下し、新種のおにぎりをGET。
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併走する旧道は、かつて京都と高野山を結ぶ”東高野街道”と呼ばれた。

河内長野市でR371(西高野街道)に入り、紀見トンネルを抜けて和歌山県へ(2:40)
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紀ノ川を渡り、九度山町の道の駅柿の里くどやまで車中泊(3:00)
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7時に起床。
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駅内の至る所にある六文銭のマーク。
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関ヶ原の戦いで西軍に与した真田昌幸・真田信繁(幸村)親子が配流された地で、
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明治までは高野山の寺領であった。
山麓の慈尊院(世界遺産)に弘法大師の母親が暮らしていて、大師は月に9度
母親に会いに来たという伝説から九度山と名付けられたと謂われる。

せっかくなので、真田氏ゆかりの史跡を見学していく。
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電柱にラッピングされた可愛らしいアニメキャラの幸村や真田十勇士たち。
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真田庵
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昌幸・信繁親子が蟄居した屋敷跡といわれている。
当初は高野山に送られる予定だったが、昌幸たちの妻子も同行していたため、
女人禁制の高野山の代わりに九度山に移されたとされる。

正門の扉にある真田家家紋の六連銭(六文銭)
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元々六連銭は戦時の旗印で、本来は西門の扉にある結び雁金が家紋だった。
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参詣は無料(※)だが、一礼合掌して志納
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※本堂併設の宝物資料館拝観は200円。

欠礼したり、志納しなかった者は、可愛らしいエンマ様が閻魔帳に記録するそうだ。
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ちゃんと志納しました(笑)

城郭を思わせる八棟造の本堂
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ただし現在の本堂はずっと後世になって建てられたモノ。
軒先にカラー電球の電飾があって、ずいぶん世俗的(笑)

正式には善名称院(ぜんみょうしょういん)という真言宗寺院。
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寛保元(1741)年に大安上人が真田屋敷跡とされるこの地に地蔵堂を開基したとされる。

真田昌幸公の墓
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慶長16(1611)年、真田昌幸は幽閉されたまま、失意のうちに病没。

二度も徳川軍を苦しめた昌幸は、幕府から正式な葬儀や墓所造営も許されず、
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当初は犬猫同様に、松の木の下に埋葬されたとされる。

言い伝えによると、この疎略な扱いに激怒した昌幸のがたびたび出没。
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そこで善名称院を開いた大安上人が、昌幸の霊を沈めるべく
真田地主大権現として祀ったところ、怒りが収まったとされる。
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真田地主大権現
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現在は真田家家宝の毘沙門天と昌幸、信繁、大介(信繁の子)の3代を合祀している。

真田親子400回忌碑
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2014年に幸村・大介親子を偲んで没後(1615年)400年の法要が営まれた。

雷封じの井
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信繁が真田屋敷に落ちた雷をこの井戸に封じ、村人を難から救ったとされる。

真田庵の近くの別のスポットへ。
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真田古墳(真田の抜け穴伝説)
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幅1.7m・高さ1.2mの横穴で、伝説ではこの穴は大坂城まで続いており、
信繁が監視の目をかいくぐり、この穴を通って大坂城に入城したとされていた。
しかし調査の結果、古墳時代後期に造られた円墳の横穴式石室の一部だと判明。

九度山~大坂城間は直線距離で40kmほどあり、現代のシールド工法で毎日10mを
365日休みなく掘り進めたとしても、最低11年はかかる(笑)

昨年3月にオープンした真田ミュージアムにも寄りたかったが、
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開館(9~17時)前だったのでパス。

九度山から高野山に向かう(7:40)
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高野山御礼参りの旅② 高野山奥の院 に続く・・・


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