2016年3月18日(金) 晴れのち曇り雨

福井には中世、近世の山城が多く、福井市周辺でも
城山(片上)城山(三峯)城山一乗城山など城山の名を冠した山も多い。

そこで春のヤマ●キパンまつりならぬ、春の城山巡りに行こう(笑)

城山(槇山)
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福井市東部の東郷地区にある標高122mの里山で、背後に見えるのは文殊山。
地理院地図等では城山と記載されているが、地元では専ら槇山(まきやま)と呼ばれている。
 
7:55 JR越前東郷駅(標高約19m)
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越美北線(九頭竜湖線)の駅で、今回のハイクの起点。

駅の駐車スペースに駐車させてもらう。
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駅前の大通りを進んで登山口に向かう(8:00)
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トックリ軒
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知る人ぞ知る有名な食堂で、鶏足が有名。帰りに寄ろうかな?

東郷エリアのシンボル、中心部を流れる堂田川(どうでんがわ)
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街のど真ん中を川が流れており、道路は一方通行になっている。

元々は足羽川から分岐する農業用水だが、近年は親水公園として整備されている。
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かつてはこのようなカッパも居たのかも(笑)
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登山口へは誘導看板も設置されている。
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前方に槇山が見えてきた。
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この辺りは道幅が狭くて入り組んでいるので、駅に駐車した訳なんです。
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8:08 三社神社(標高約21m)
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創建は永延2(988)年。当初は槇山山中に鎮座されていたと謂われる。

小安公民館前に駐車場があり、ここにも駐車可能。
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長命地蔵
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内部には笏谷(しゃくだに)石でできた多くのお地蔵様が安置されている。
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地蔵堂の正面に掲げられていた干支の絵馬。
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隣の倉庫には他の十二支の絵馬もあった。
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8:10 槇山大手口登山口(標高約21m)
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神社の脇から林道を登っていく。
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折れた杉葉(すんば)が散乱しており、花粉症の方は要注意。
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私の場合、麓では症状が出るが、山では平気。なんでだろう?

階段を登っていくと、一旦なだらかな場所になる(8:16)
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左側に行くと連続郭群に至る。
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午後から天気が崩れる予報なので、パスして山頂に向かいます。
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前方にガードレールが見えてきた。
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8:22 林道出合(標高約99m)
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西麓の赤坂(栃泉町)側から登ってくる林道と合流。

8:24 駐車場(二の丸跡)(標高約105m)
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ラクしたい方はここまで車でこれます(笑)

トイレも設置されており、OPP対策も万全。
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駐車場からはホームの文殊山が望める。
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ここから見える文殊山はまた別の顔を見せてくれる。

槇山(東郷)城は15世紀前半に、戦国大名朝倉氏一族の東郷正景が築城したと謂われる。
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朝倉氏が一乗谷に本拠を移してからは、前衛の支城として重要な役割を担うようになった。

山頂(城台跡)に向かいます。
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南側以外は急な崖になっており、攻めにくい縄張りになっている。
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8:27 城山(槇山)山頂(城台跡)(標高約122m)
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タイムは17分。

長谷川秀一公顕彰碑
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長谷川秀一(ひでかず)は織田信長の家臣で、小姓として信長に寵愛された。
本能寺の変の際は徳川家康の堺見物案内役を命ぜられていたため、辛くも命を長らえる。
その後秀吉に仕え、柴田勝家滅亡後の天正12(1584)年に槇山城主となり、越前東郷15万石を拝領。
小牧・長久手の戦い、紀州征伐、九州征伐にも参陣し、戦功により羽柴姓を与えられ、
”羽柴東郷侍従”と名乗り、後に豊臣姓も下賜されている。

慶長の役に従軍した際、朝鮮で病没したとされていたが、伏見城普請帳に名前があることから、
近年は帰国後死亡(1594年2月)したという説が有力。
ただ嫡子のなかった長谷川家は断絶となった。

山頂は木々が茂っているので、眺望はあまりよくないが、
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僅かに北ノ庄城のあった福井市街と朝倉氏の居城があった一乗城山が望める。
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さらに下市山付近の安居(あご)地区は朝倉氏が一乗谷に移る前の本拠だったところで、
朝倉氏ゆかりの地を結ぶ重要な山城だったのだろう。

槇山城から一乗谷へは稜線で繋がっており、朝倉街道同様、戦略的に重要なルートだった。
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現在は一乗谷や御茸山方面に遊歩道が整備されている。

千畳敷に向かう道にはイノシシ除けの高圧電線がある。
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電線を外す把手がないため、跨ぐしかなく、足の短い方はご注意を(笑)

8:31 千畳敷(標高約111m)
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名前の通り広場になっており、遊具も設置されている。

暑くなってきたのでジャケットを脱ぎがてら、東屋で小休止。
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2座目の城山に向かうべく、遊歩道へ(8:37)
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長谷川家断絶後は丹羽長秀の次子長正が槇山城主となったが、
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関ヶ原の戦いで西軍に属したため、戦後改易。

結城(松平)秀康が北ノ庄(福井)に入府し、槇山城は廃城となった。
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一旦鞍部に降りていく。
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林道に再合流。
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千畳敷を通らず林道からも行けます。

8:41 遊歩道入口(標高約91m)
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道が3つに分かれ、一乗谷方面は直進。

右手の舗装された林道を下っていくと栃泉町に降りていく。
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途中に水芭蕉群生地があるようだが、今回はパス。

序盤は急坂を登っていく。
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登山道脇には植生を示す看板が設置されている。
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急坂を登り切ると、なだらかな稜線歩きとなる(8:50)
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案内看板や地図看板もこまめに設置されているので迷うことはありません。
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9:02 栃泉(とちいずみ)ルート分岐(標高約155m)
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多少アップダウンもあるが、総じてなだらかな道が続く。
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今日もいっぱい登っているんだろうな・・・
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竹林が見えてくると、登山道は90度左に折れる。
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一旦下り始めると、カタクリの群生地。
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芽は出ていたが、開花はもう少し先。
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現在の城主はイノシシのようで、足跡や掘り返した跡ががいっぱいあった(笑)
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オウレン(黄連)
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キンポウゲ科オウレン属の多年草。

ちょうど満開で、さながら星のように輝いていた。
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9:13 城戸ノ内ルート分岐①(標高約208m)
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右に行くと一乗谷の復原町並近くの城戸ノ内(きどのうち)に至る。

9:15 城戸ノ内ルート分岐②(標高約207m)
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ここも右に行くと城戸ノ内ルートに通ずるが、左へ。

9:17 南山(みなみやま)ルート分岐(標高約216m)
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左に行くと南山町に通じるようだが、詳細は不明。

また小ピークを登っていく。
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この辺りは御茸山(おたけやま)古墳群と呼ばれ、大小120基余りの古墳が点在する。

9:29 安波賀(あばか)ルート分岐(標高約245m)
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直進すると福井市少年自然の家や展望広場などを経て脇三ヶ(わきさんが)町に至る。

小休止した後、次の城山である一乗城山に登るべく、安波賀ルートへ(9:35)
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緩やかな尾根下りかと思いきや、意外と傾斜がキツい。
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登りは結構ハードかも。

9:50 瀧殿社(たきどののやしろ)(標高約74m)
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麓にある安波賀春日神社の摂社。
越前松平家第7代藩主吉品(よしのり)公が、織田氏に滅ぼされた朝倉氏の菩提を祀るために建立。
社の下には義景公愛用の馬具の一部が埋められていると謂われる。

さらに下っていくと、立派な神社が見えてきた。
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9:54 安波賀春日神社(標高約50m)
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治暦4(1068)年、後冷泉天皇の勅願で帝都北東鬼門鎮護のために創建された。
本殿は三間社流造、拝殿は入母屋造で、瀧殿社とともに福井市の指定文化財になっている。

祭神は天児屋命(あめのこやねのみこと)、武甕槌尊(たけみかづちのみこと=建御雷神)、
経津主命(ふつぬしのみこと)、比売大神(ひめおおかみ=天児屋命の妻)
武甕槌尊や経津主命は出雲の国譲りの際に使わされた神で、その強大な武力で
大国主命を恭順させ、軍神として崇められている。

朝倉氏は戦勝祈願所として尊崇していたが、織田勢の越前侵攻で灰燼に帰してしまう。
しばらく荒れ果てていたが、元禄10(1697)年に吉品(昌親)公により再建され現在に至る。

社伝によると、朝倉氏が滅亡の際に、
「以後越前の国主たる者には、子々孫々に至るまで祟るべし」
という言葉を残したとされ、その言葉通り、

前波吉継(桂田長俊)・・・改名後に失明。元同僚の長繁が煽動した土一揆衆により討死
冨田長繁・・・一揆勢との戦闘中に味方から裏切られ討死
柴田勝家・・・秀吉に敗れ、北ノ庄でお市の方とともに自刃
長谷川秀一・・・嫡子がなく、無嗣断絶
丹羽長正・・・関ヶ原で敗軍となり、戦後改易
結城(松平)秀康(初代)・・・梅毒により鼻がもげ、34歳で早逝
松平忠直(2代)・・・幕府を公然と批判し、蟄居謹慎となり、大分に配流
松平光通(4代)・・・後継者問題によるストレスで自殺
松平綱政(6代)・・・家臣を殺害したり、登城拒否で蟄居謹慎となり、石高半減

など歴代の越前国主が散々たる不運や不幸に見舞われる。

祟りじゃ~ 朝倉の祟りじゃ~

吉品公がこう言ったかは定かではないないが、兄光通は御家騒動が原因で自殺し、
家督を譲った甥綱政の狂気が元で、50万石あった石高が25万石に半減されてしまった。
吉品公が藁をもすがる想いで、朝倉氏の怨霊鎮魂と松平家の繁栄のために再建したのは無理もない。

もっとも朝倉氏も下剋上で主君の斯波氏から守護の座を奪っているので、
他人を呪うのは筋違いなのだが(笑)

うん? いくな×って、このルート通行したらダメなの?
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どうやら少年自然の家の散策コースで、誤って登山道に進まないようにするためのようだ。
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9:57 槇山・御茸山安波賀ルート登山口(標高約32m)
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2座目の一乗城山に向かう。


やっぱり、山っていいね!


槇山(122m)(大手道ルート、縦走路、安波賀ルート) 
標高差224m
登り 17分、下り 1時間27分、TOTAL 1時間57分
出会った人 なし 出会った動物 なし
2016年:22座目

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