2016年2月23日(火) 晴れのち曇り

このところ氷雨の肌寒い日と僅かに暖かい日が目まぐるしく訪れ、
”三寒四温”ならぬ”五寒二温”という状況の福井。
しかも私の休日に限って寒に当たるという日々が続き、2月はまだ1座しか登れていない(涙)

今日の福井も雲が多く、夕方からは雨という下り坂の予報。
それなら天気の良い太平洋側へということで、愛知県のこの山へ。

猿投山(さなげやま)
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※写真は2006年12月にさなげ温泉で撮影。

旧尾張国の瀬戸市と旧三河国の豊田市に跨る山で、愛知高原国定公園にも指定されている。
また田中澄江氏が発表した新・花の百名山にも選ばれており、春から初夏にかけて
センボンヤリ(千本槍)が薄紫色の花を咲かせる。

山名の猿投(さなげ)は、第12代景行天皇が伊勢に行幸された際、可愛がっていたが不肖
(不祥事)を起こし、激怒した天皇がその猿を伊勢の海に放り投げた故事に由来。
その後猿がこの山に辿り着き棲みついたことから、”猿投山”と呼ばれるようになったとされる。
なお勘違いし易いのが、猿を投げた場所は猿投山ではなく、100km近く離れた伊勢。

猿を海に投げるほど激怒したというには、どんな不祥事をしでかしたのだろう・・・
今なら動物愛護団体から猛クレームが来るだろうな(笑)
 

前夜自宅を出発し、東海北陸道、東海環状道経由で愛知県に向かう。
意外と遠く感じられがちだが、東海環状道ができたおかげで片道3時間ほどで行けるようになった。

23:41 美濃加茂SA
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ETC深夜割引(0~4時)適用のため、ここで車中泊して時間調整。

SA内にあったお猿さんの撮影パネル。
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美濃加茂周辺には”猿の岩”や”猿啄(さるばみ)城跡”などがあるので、その関係なのかな?

6時半に起床し、東海環状道を南下。猿投山トンネルを抜けた先の豊田藤岡ICで降りる。
ここでトラブル発生!
写真を撮ろうとすると、デジカメの”電池残量がありません”の表示。
仕方ないので携帯での撮影となり、手ブレや露光不足の写真が多いのはご容赦下さい。

7:11 猿投神社本社
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旧三河国三宮。主祭神は景行天皇皇子で、日本武尊(小碓命)の兄である大碓命(おおうすのみこと)

神社脇の狭い道を進んで駐車場に向かう。
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7:14 猿投山登山者用駐車場(標高約152m)
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30台ほど駐車可能で、水洗トイレも完備されています。
平日早朝にもかかわらず5台ほどの先客があり、地元の方に愛されている様子がうかがえる。

土日はすぐ満車になるようで、その際は少し戻ったところにある参拝者兼用の駐車場へ。
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猿投山は大変懐の広い山で、あちらこちらから登山道が伸びており、
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古道や旧道、作業道、林道などのバリエーションルートも含めると30近いコースがあるとされる。

瀬戸市側の雲興寺コースにしようかとも思ったが、一番メジャーな猿投神社側から登ることにした。
う●ちネタ大好きのpoptripさんなら、迷わず雲興寺を選択されるだろうが(ウソ)

猿投山にもクマが棲息しているようで、昨年クマらしき足跡が発見されたそうだ。
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今日もクマ鈴と火薬銃は携帯しています(笑)

駐車場から登山口までは1.4kmほど林道歩きとなる(7:31)
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途中の擁壁を削って描かれた英語の案内。”ようこそ猿投山へ”
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”クマ、ヘビ、蜂に注意!”
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外国人への配慮だと思うが、公共物を毀損するのは・・・

7:40 トロミル水車(復元)
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”トロンメル(Trommel)”が訛ったもので、ドイツ語で”ドラム”の意。
水力を利用したドラム型粉砕機で、粘土や陶土を作る際に使われた。
”瀬戸物”で有名な北麓の瀬戸市に代表される通り、この辺りでは古くから窯業が盛んで、
戦前には猿投山だけでも100以上のトロミル水車があったとされる。

舗装された林道をなだらかに登っていく。
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途中広くなった路肩部分に駐車していた車が何台かあった。

7:48 お倉岩
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”お倉”と表記されていたが、どう見ても”倉”には見えない。
馬具の”鞍”に似ているので、おそらく”お鞍岩”が転じたのだろう。
ピンボケですみません。しばらくピンボケが続きます(笑)

7:50 猿投山登山口(標高約220m)
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駐車場から約20分で登山口に到着。ここは東海自然歩道にも指定されている。

山頂までは約3.4kmで、標準タイムは1時間40分。
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亀足の私の目標は2時間。

登山口からすぐのところにある御門杉
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まずは木の階段を登っていく。
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浸食のせいか段差が大きく歩きづらい。

10分ほど登ると緩やかになる。
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8:02 林道出合①(標高約285m)
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林道を横切って再び登山道へ。
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8:05 東の宮まで2km地点(標高約323m)
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猿投神社から34分なので、今のところまずまずのペース。

ここにはベンチが設置されている。
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登山道はよく整備されていて、狭隘箇所には鉄製の橋がいくつか設置されている。
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道幅も意外と広く、昨年登った京都の愛宕山のような雰囲気。
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しかも緩急入り混じる感じもそっくり(笑)
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8:25 東屋(標高約412m)
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ここで小休止しようかと思ったが、もう少し頑張ろう。

猿投山は古い花崗岩から出来ており、巨岩や奇岩が点在。
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また登山道には風化した花崗岩が多いため、浸食されやすい。

古い文献では”狭投神社”とも記され、本来”狭くて崩れやすい”様子を表した
”サナギ”からくる”狭投山”だったのが、後に前述の”猿投伝説”が当てられたとも謂われる。
※ナギは薙ぎ≒𡵢(ナギ)で、山が崩れて平になっていくことを意味する。

8:33 武田道合流点(標高約445m)
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広沢川側から登ってくる武田道コースと合流。
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東の宮の宮司を務めた武田氏がこの道を使って通ったことに由来するらしい。

合流点を過ぎた先で大岩展望台の案内を発見(8:34)
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すぐ近くのようなので寄ってみることに。

8:39 大岩展望台(標高約470m)
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眺めが良く、丸太のベンチもあったのでここで小休止。
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東から南側の眺望が開けているが、生憎霞んで遠方の山々は見えなかった。
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なお展望台からそのまま先に進んでも、登山道に合流します。

8:51 自然観察路分岐(標高約490m)
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道が二手に分かれ、右が東の宮、左が西の宮に続く。
西の宮は下りに寄ることにし、右の東の宮側に進む。
なお西の宮から東の宮にも行けますが、急登が多く遠回りになります。

登山道脇にあった手水鉢のような岩。
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人工?それとも自然に?

登山道は再びなだらかになったかと思うと、今度は下っていく。
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8:54 林道出合②(標高約480m)
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東の宮まではまだ1kmもあるのか・・・
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登山道は80mほど林道を進んだ先にある。
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ここにもトイレがあり、ここが最終のOPPスポットです(笑)

8:55 東の宮入口(鳥居)(標高約475m)
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東の宮の石柱が立っているが、本殿はまだ900mも先です(汗)

東の宮に続く参道もややキツい階段。
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この付近にはツガ(栂)の大木が多く、ツガの森とも呼ばれる。
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ようやく社が見えてきた。
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9:22 東の宮(標高約615m)
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登山口から1時間32分とまずまず。
主祭神は本社同様、大碓命で、配祀神は父の景行天皇(第12代)と祖父の垂仁天皇(第11代)。
ただし大碓命が主祭神となったのは近世以降とされ、それ以前は猿田彦命、吉備武彦などが
祀られていたとも謂われる。

うん? 猿田彦命(さるたひこ)

ここでひとつの仮説が頭をよぎる

猿田彦命は国津神で、邇邇芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨する際、道案内として現れた。
鼻長七咫(約70㎝)、背長七尺(約210㎝)の異形の神で、天狗の原型になったとも謂われる。
後に庚申信仰と結びつき、道祖神となって民衆に信仰された。

邇邇芸命を案内した後は、随伴伸の天宇受売命(あめのうずめのみこと)と結婚し、
故郷の伊勢に戻ったとされる。
その後猿田彦命の一族は伊勢を支配し、椿大神社(鈴鹿市)、猿田彦神社(伊勢市)などでは
猿田彦(毘古)命が祭神として祀られている。

猿、伊勢・・・

また景行天皇の妹である倭姫命(やまとひめのみこと)が、父垂仁天皇の命で宮中で
大物主大神(おおものぬしのおおかみ≒大国主神)と同床共殿されていた(詳しくはこのレポで)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を遷座させるべく諸国を巡っていた際、
現在の伊勢神宮に当たる五十鈴川上流一帯を案内し献上したのが、ほかならぬ
猿田彦命の子孫である大田命(おおたのみこと)。

猿、伊勢・・・

猿投伝説で景行天皇が伊勢の海に投げたというとは、
もしかするとこの猿田彦命の子孫のことだったのではないだろうか!?

天皇の側近だった猿田彦命の一族が、何らかの不祥事(不肖)で失脚し追放される。

その不肖とは定かでないが、私の想像では恐らくこんな感じだったのではないだろうか。

景行天皇52年、美濃に配されていた大碓命が猿投山で毒蛇に咬まれて急逝。
翌53年には天皇が亡き小碓命(日本武尊)を偲んで行なった東国巡幸の帰りに伊勢に行幸。
そこで大碓命薨去(こうきょ)の報を知り、守役的役目だった猿田彦命一族を処罰追放。
大碓命の眠る猿投山で、皇子の御魂を祀る様に命じた。

皇子を二人も失った天皇の悲しみが、猿投伝説という形で伝えられたのかもしれない。
もっとも歴史好きな素人の一見解なのでご容赦を。

山頂はここから800mほど先なので、軽く息を整えた後向かう(9:24)
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稜線を3回ほどアップダウンを繰り返しながら進んでいく。

途中にあった看板。
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どうやら御嶽山が望めるようだが、この日は雲に隠れていた。

9:32 中ア・南ア展望所(標高約622m)
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ここからは中央アルプスの木曽駒ヶ岳や恵那山、南アルプスの聖岳や赤石岳が望めるようだが、
霞んでいて山座同定はできなかった。

9:34 カエル岩(標高約620m)
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展望所からすぐのところにある奇岩。でもわざわざ顔を描くのはチョッと・・・

9:45 猿投山山頂(標高629m)
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タイムは1時間55分と目標の2時間をクリア。
山頂には途中追い越していったトレランの男性と女性がおられた。
男性は30分、女性は40分だそうだ。す、すごい!

山頂には愛知県に10箇所しかない一等三角点(猿投山)がある。
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なお最高地点は先ほどの東の宮の裏にあり、標高632mと3mほど高い。
ヤマレコなどでは最高地点に立ち寄っているレポもあったが、御神域らしいのでパス。

山頂からは北側のみ眺望が開けている。
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白山(2702m)や能郷白山(1617m)などが望めるようだが、生憎雲で隠れていた。

ベンチやテーブルがいくつも設置されており、遅めの朝食をいただく。
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食べている間も入れ替わり立ち替わりハイカーが登ってくる。

瀬戸市側から登ってこられた年配の男性としばし談笑した後、下山開始(10:47)
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カエルくん、またね~(笑)
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先ほどより心なしか雲が減り、中央アルプスの山並みが望めた。
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11:01 東の宮(標高約615m)
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下りは西の宮に寄るべく、自然観察路へ(11:03)
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西の宮は別の尾根にあるようで、谷を巻きながら進んでいく。
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こちらは先ほど以上に浸食が激しく、倒木や登山道が崩れかかった場所も見られた。

11:14 御船石(おふないし)(標高約535m)
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ホットドック型の花崗岩の巨岩で、祭神の大碓命が乗ってきた船が石になったという伝説が残る。

11:19 大碓命墓(標高約505m)
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社伝によると猿投山に登る途中に毒蛇に咬まれ、その毒で42歳で没したとされる。

景行天皇皇子とされるので、宮内庁が管理。
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なお天皇、皇后、太皇太后、皇太后を葬った場所が陵(みささぎ、りょう)で、
皇太子や親王、皇女などの皇族を葬った場所が墓(はか、ぼ)。

この大碓命、弟の小碓命(日本武尊、倭建命)と双子であったとされるが、
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記紀では結構なダメ兄ちゃんとして描かれている。

日本書紀では父景行天皇が蝦夷征伐の適任者を探していた際、熊襲征伐を終えて凱旋した日本武尊が
兄にも武功を挙げさせようと大碓命が適任と奏上したが、あちこち逃げ回って天皇から叱責され
美濃国(岐阜県)に左遷させられている。

また古事記では大根王(三野(美濃)国造の祖)の娘の兄比売(えひめ)・弟比売(おひめ)姉妹が
大層美人だという噂を耳にした景行天皇から視察を命ぜられたが、二人とも自分のにし、
挙句の果てにバレるのを防ぐために、別の女性を偽って天皇に献上したとされる。

いや~ 記述が本当なら、ろくでもない兄ちゃんですね(笑)

結局東征には弟の日本武尊が行くことになり、駿河(焼津)で火攻めにあったり、相模(走水)で
后の弟橘比売が身代わりに入水するなどの苦難の末、東国を平定。
帰路に立ち寄った伊吹山で神の怒りを買い、その痛手が元で命を落としたとされる。

悲劇の英雄の日本武尊は歴代天皇の系譜では即位の記録はないが、
記紀では伊勢や大和、河内などにある白鳥陵(しらとりのみささぎ)に被葬されたとあり、
陵となっていることや子が第14代仲哀天皇に即位したことなどから天皇に準ずる地位にあったという説も。

その日本武尊も実はとんでもない弟で、記紀には腹黒い性格が記されている。
・父の寵妃を奪った兄大碓命を、父の許しなく素手でつまみ殺す(古事記)
・女装してクマソタケル兄弟を騙し討つ(古事記・日本書紀)
・和睦したイヅモタケルの剣をすり替えて騙し討つ(古事記)
・東征前に叔母の倭姫命に泣き付き、ちゃっかり神器の草薙剣を貰う(古事記)
・走水から上総に渡る際、軽口を叩いて神の怒りを買い、進退窮まる(日本書紀)
・生理中だった美夜受比売と契る(古事記)

大碓命を東征の責任者に推挙したのも、自分より武芸の劣る兄を先に派遣させて失敗させ、
その後自分が赴いて武功を挙げようとする打算的な計画だったのかもしれない。

11:23 西の宮(標高約500m)
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父景行天皇と同祀されていることからも、大碓命と景行天皇の仲は記紀が伝えるほど不仲ではなかった
のではないだろうか。
また大碓命が兄比売・弟比売姉妹を寝取っても、姉妹の故郷である美濃国に封ぜられたのは、
もしかすると、仲睦まじく暮らせよという父からの餞けだったのかもしれない。

西の宮から急坂を下って林道へ(11:34)
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林道をそのまま進むと東の宮入口方面に続くが、右手の自然散策路へ(11:36)
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途中にあった標識のない分岐を右折。
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てっきり登りで使った道へ続いていると思ったら、どうやら一本手前の道を曲がってしまったようだ(汗)

持参した地図を見る限り、この道を進んでも林道に接続して戻れそうだ(笑)
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12:01 林道出合(標高約357m)
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20mほど先には武田道コースも接続している。
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下りは武田道コースも考えていたが、また少し登り返すようなのでパス(笑)
そのまま林道を下っていく。

12:13 林道出合①(標高約285m)
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見覚えのある個所から登山道に復帰。

12:20 猿投山登山口(標高約220m)
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下りは1時間33分。

駐車場に戻ると、満車だった。
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600mほどの低山ながら、数多くの尾根や沢があり、コースバリエーションが豊富な山で、
地元の方に愛されているまさに”愛知の文殊山”とも言うべき山と感じた。
また巨石信仰や神話に由来する史跡も多く、すっかり気に入ってしまった。
機会を見つけてまた是非登りたい!


☆今回のルート図☆ (クリックすると拡大します)
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☆アクセス☆


☆この日の行程☆
7:14猿投山登山者駐車場7:31
7:50猿投山登山口
8:25東屋
8:39大岩展望台8:49
9:22東の宮9:24
9:45猿投山山頂10:47
11:01東の宮
11:23西の宮
12:20猿投山登山口
12:37猿投山登山者駐車場

やっぱり、山っていいね!


猿投山(629m)
標高差477m
登り 2時間14分、下り 1時間50分 TOTAL 5時間6分
出会った人 30人ぐらい 出会った動物 なし
2016年:15座目

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