2015年12月1日(火) 晴れ

次に向かったのは関ヶ原の南西部に位置する松尾山
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西軍の小早川秀秋軍約1万5000人が陣取ったところで、秀秋の裏切り行為により
善戦していた西軍はたちまち壊滅状態に陥り、やむなく敗走したのはあまりにも有名。
 
福島正則陣所跡
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秀吉子飼いの武将だった武断派の福島正則は、文治派の石田三成らとは敵対しており、
黒田長政の説得により小山評定でもいち早く家康支持を表明。
関ヶ原本戦では福島隊は(6000)は先陣となり、西軍の宇喜多秀家隊(1万7000)と
一進一退の大激戦を繰り広げた。

R21からだと東海道新幹線、名神高速道路のガードを抜けていきます。
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松尾山登山口へは小さい看板こそあるが分かり難く、道も狭いため少し迷ってしまった。

小早川秀秋の旗印、違い鎌の幟が見えてきた。
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13:24 松尾山登山口(標高約100m)
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駐車場もあり5~6台駐車可能。先客の1台があった。

登山口から山頂までは1.4kmで標準タイムは40分。
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登山口近くで下山してきた女性2組とすれ違う。
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ということはこの先は私ひとりだけ?

まずは林道(城山林道)をゆるやかに登っていく。
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車でも登れなくはないが、隘路で離合できる場所がないので止めておいた方がいい。
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間違えそうな場所には標識もあって分かり易い。
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13:39 林道分岐点(標高約188m)
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ここで林道と分かれ登山道へ。
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山頂までは残り900mで20分。

登山道脇に山之神神社という標石があったが、少し外れるようなのでパス。
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細かなアップダウンを繰り返しながら進んでいく。
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この付近でソロの男性とすれ違う。

途中の開けた場所からは関ヶ原の街並みが望めた。
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今年9月に東西両陣所跡を巡るウォーキング大会があったようだ。
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制覇コースは桃配山を除くほとんどの陣所跡を巡る16kmのコースだそうです。

13:51 小ピーク(標高約230m)
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階段部分となだらかな部分が交互に続く。
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13:56 小ピーク(標高約258m)
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山頂の幟が見えてきた。
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この辺りの階段は蹴上高が高くて結構足にきます。

14:03 松尾山山頂(標高292.9m)
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タイムは39分とコースタイム通り。山頂には誰も居なかった。

東屋のほかにベンチなども設置されている。
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本日三度目の三角点(三等・溝口)タッチ。
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秀吉の正室高台院(北の政所)の甥、秀秋は、幼くして子供のいない秀吉の養子となった。
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成人して豊臣秀俊と名乗り、関白豊臣秀次に次ぐ秀吉の後継者と目されていたが、
秀吉の実子秀頼が生まれたため運命が急変する。

秀吉は毛利氏懐柔のため、秀俊を毛利輝元の養子にと持ちかけたが、
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毛利本家の血筋を守るために、実子のなかった小早川隆景(元就三男)が自らの養子に迎えた。
その後中納言(金吾)となり、小早川秀秋と改名し筑前30万7000石の大大名となる。

山頂からは関ヶ原が一望。
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この狭い一帯に、東軍約7万、西軍約8万の合計15万の将兵が集結。
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当時の総人口が約1500万人なので、その1%が集結したまさに天下分け目の大戦だった。
みなさん充分ご存じでしょうが、ここで風景を見ながら関ヶ原の戦いの戦況を簡単に説明。

戦いの火蓋が切られたが、小早川隊(1万5000)や南宮山の毛利・長宗我部隊(約3万2000)は傍観。
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西軍は8万のうち実質3万3000ほどしか戦闘に加わっていなかったが、地の利と各将の目覚ましい働きで
東軍と互角以上に渡り合っていた。

秀秋は三成から次期関白職や播磨国加増の約定を貰い、形式上は西軍に属していたが、
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同時に東軍の黒田長政の調略も受けていて、態度を保留し傍観

たびたび三成・家康両陣営から出陣を促す催促の使者にも動かず、
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業を煮やした家康は、松尾山に向けて鉄砲を撃ち掛けることを命じたとされる。

家康の剣幕ぶりを知ってようやく重い腰を上げ、東軍ではなく友軍の大谷吉継隊に攻めかかる。
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側面を突かれた吉継は小早川隊を何度か押し返すものの、小早川隊の離反に触発された
西軍の脇坂隊や朽木隊などの裏切りも加わり、四方から攻撃を受けて力尽き、
「おのれ金吾(=秀秋) 人面獣心なり 三年の間に祟りをなさん」
と叫びながら自刃したとされる。

この結果戦況は一変し、宇喜多隊や小西隊も総崩れとなり、三成は伊吹山方面に敗走。
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天下分け目の大戦は、開始から僅か6時間ほどで終結し、東軍の勝利となった。

戦功により備前・美作55万石に加増されたが、2年後の慶長7(1602)年に享年21歳の若さで急逝。
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吉継の祟りで発狂死したとも噂され、嫡子のない小早川家は改易となった。
歴史小説や時代劇では愚鈍な裏切者として描かれることの多い秀秋だが、
備前岡山では総検地を実施したり、岡山城の外堀を僅か20日間で完成させた所謂”二十日堀”など、
その行政手腕は高かったとも謂われている。

松尾山には元々松尾山城という山城があり、土塁や空堀などの遺構が残っている。
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美濃と近江の国境を警備する拠点だったが、六角氏や浅井氏の滅亡によりその役目を終え、
天正7(1579)年に廃城となった。

コーヒーを飲みながら、関ヶ原に散った多くの将兵に想いを馳せる。
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淡いピンクのサザンカ(山茶花)が満開だった。
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花言葉は「困難に打ち克つ」、「ひたむきさ」。

どうやら山頂広場から50m行ったところにトイレがあるようだ。
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特に逼迫(OPP)した状況でもないのでパス(笑)
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風が冷たいので、そろそろ降ります(14:31)
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東西の稜線上は比較的なだらかだが、北側の斜面はかなり急勾配。
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小早川隊は本当にこの急斜面を駆け下りたのだろうか?

行きにパスした山之神神社に寄っていこう(18:48)
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14:49 山之神神社(標高約200m)
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縁起は不明だが、祭神はおそらく大山祇神(おおやまつみのかみ)だと思われる。
ハイクの無事を祈願する。

14:51 林道合流点(標高約188m)
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15:02 松尾山登山口(標高約100m)
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下りは31分。
最後にもう1座へ・・・


☆今回のルート図☆ (クリックすると拡大します)
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☆アクセス☆



やっぱり、山っていいね!


松尾山(293m)
標高差193m
登り 39分、下り 31分 TOTAL 1時間38分
出会った人 3人 出会った動物 なし

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