2015年10月3日(土) 晴れ

白山の紅葉を見に行こうと思っていたので前日てんきとくらすで確認するが、
今回も登山指数はオールC
恐らく雨というより強風でCになっていると思われるが、やはりオールCだと二の足を踏む。
低山の紅葉はもう少し先なので、前から登ってみたかったこの山へ。

三輪山(みわやま)
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奈良県桜井市にある山で、奈良盆地の南東部に位置する。
この三輪山、標高467.1mの低山だが、そんじょそこらの山とは一線を画している。
古来より山全体が御神体とされ、禁足地として許可なく登ることが禁じられている。
三輪山には細かい入山心得や禁止事項が設けられているが、これらは後ほど明らかに。

なお今回のレポは超~長文なので、歴史に興味のない方はすっ飛ばして下さい(笑)
 
前夜自宅を出発。節約のためR8で彦根に向かい、R307から伊賀上野に抜けて名阪国道(R25)へ。

25:38 道の駅針T.R.S(テラス)
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深夜にもかかわらず、ライダーが大勢たむろしていて、中には爆音を撒き散らす珍走団も。
あれでカッコいいと思ってるのが、もののあはれなり(笑)

7時に起床。標高500mほどの位置にあるため、少し肌寒かった。
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天理ICで名阪国道を降り、R169で三輪山のある桜井市を目指す。

そう言えば、奈良県は先日福山雅治さんとご結婚された吹石一恵さんの出身地(香芝市)。
巷では独身イケメン俳優で最後の大物だった福山さんが結婚され、ショックで会社を休む女性や福山さんが所属するアミューズの株が一時500円も急落する、所謂”福山ショック”が話題になった。

しかし私の場合、福山さん自身の結婚はどうでもいいことで(ファンの方ごめんなさい)、
むしろ吹石さんがご結婚されたことの”吹石ショック”の方が大きい(笑)
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さすがに結婚されたので、見事な円墳を披露されたあのCMはもう見られなくなるのか・・・
(そっちかよw)

三輪山の登拝受付は午前9時からなので、時間調整で付近の散策へ。
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暫く今回のハイクの背景となる歴史の記述が続くので、興味のない方はすっ飛ばしてお読みください(笑)

纒向(まきむく)遺跡
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1970年頃まではごく普通の小規模な古墳時代の遺跡としか見られていなかったが、
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平成21(2009)年の第166次調査で日本初の大規模な建物群の遺構が発見され、
ここが卑弥呼の邪馬台国ではないかと大きな話題となったのはまだ記憶に新しい。
※現在は遺跡保護のため全て埋め戻されていて、敷地内は立入禁止。

実は5年前に一度訪れており、その時も既に埋め戻しされていました(涙)
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※2010年11月に撮影。

遺構で最大のD棟の復元予想図(神戸大学建築史研究室作成)
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南北約19.2m、東西約12.4m、約238㎡にも及ぶ巨大な高床式建物で、祭殿だったと推定されている。

纒向は弥生後期から古墳前期に当たる3世紀初頭に突如現れた計画的な都市計画がなされた都市で、
周辺には大規模な運河跡も数多く発見されている。
遺跡からは伊勢、尾張、出雲、吉備、北陸、関東など全国各地の土器が見つかっており、
日本各地から人とモノ、情報などが集まる一大集積地だったことが伺える。
当時としては他に類を見ない突出した巨大都市にもかかわらず、住居跡が確認されていない。
各地の豪族による新たな国家連合体の象徴として、纒向に政治的・宗教的な都が築かれ、これが初期ヤマト王権の始まりだったのではないかという説(寺沢薫氏)もある。

またここが卑弥呼の治める邪馬台国という説を裏付けるような証拠も出土している。
遺構付近からは2000個にも及ぶ大量の桃の種が出土。
桃は古代の祭祀において魔除けの供物として重用されたとされ、魏志倭人伝で”鬼道を能く”と記された卑弥呼の祭殿だったのではないかという説が俄然真実味を増してきた。
※鬼道は一般的にシャーマニズム的な呪術を指すが、古代中国では儒教にそぐわない体制とする説も。

纒向が邪馬台国(畿内説)だという論拠は、500mほどしか離れていないここにも。

箸墓古墳(はしはかこふん)
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正式名称は孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命大市墓(宮内庁治定)
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なお天皇、皇后、太皇太后、皇太后を葬った場所が陵(みささぎ、りょう)で、
皇太子や親王、皇女などの皇族を葬った場所が墓(はか、ぼ)。

3世紀半ばから後半に築造された前方後円墳で、同型では日本最古級ともされている。
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墳丘長278m、高さ30m。奈良県第3位の規模で、全国でも第11位に該当する巨大古墳である。
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ちなみに奈良県第1位は橿原市にある見瀬丸山古墳(伝天武・持統陵)(全長318m・全国6位)、
第2位は天理市にある渋谷向山古墳(伝景行陵)(全長310m・全国7位)

被葬者は第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
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※日本書記(崇神天皇記)。古事記では夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)

一説ではこの倭迹迹日百襲姫命≒卑弥呼ではないかとされている。
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日本書紀では、倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼同様、祭祀を司る巫女的な存在と記されており、
活躍したとされる時代(3世紀前半から中頃)がほぼ同じで、弟がいることなどの類似点も多い。
また姫命(メノミコト)が魏に、誤ってもしくは訛ってヒミコと伝わったとする説も興味深い。

ただし三輪山の主祭神である大物主神(おおものぬしのみこと≒大国主神)と契りを結んだという点では、
生涯独身だったとされる卑弥呼と異なる。

百襲姫は大物主神の妻となったが、大物主神は夜にしか訪れず昼に姿は見せなかった(妻問婚の原型?)
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥(くしげ)の中に小さな黒蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて三輪山に登ってしまった。
百襲姫がこれを後悔して急居(慌てて座る)した際、が陰部に突き刺さり死んでしまった。
遺骸は大市に埋葬され、この伝説から箸墓(はしのみはか)と呼ばれるようになったと謂われる。

なんでまた箸があの部分に刺さったのか?という大きな疑問が残るが(後ほど述べるつもりです)
いずれにしろ”急な死”を意味しているのは間違いないだろう。
卑弥呼の場合は死因は不明だが、狗奴(くな)国との交戦が長引いている中、「卑弥呼以て死す」と突如亡くなっている点は単なる偶然だろうか。。。

ほかに墳墓自体にも倭迹迹日百襲姫命≒卑弥呼説の論拠となりそうな点がいくつかある。

中国の史書である魏志倭人伝(正確には”三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条”)の記述では、正始8(247)年に
「卑弥呼以て死す。大いに冢を作ること径百余歩。葬に殉ずる者奴婢百余人なり」
また北史倭国伝では、「正始中卑弥呼死す」と記載されており、正始は9年までなので、卑弥呼の死亡時期は正始8(247)年から正始9(248)年の間ではないかと考えられている。

倭人伝に記された卑弥呼の墓(冢)の大きさは径百余歩とあり、1歩は6尺で、
魏晋南北朝期の1尺は24.12㎝とされているので、径百余歩は直径約150mとなる。
箸墓古墳の後円部の直径が約150mなので、倭人伝の記載と符号する。
また同古墳から出土した土器は、その特徴や炭素14測定法から240~260年頃に製造された布留0式土器とされ、こちらも卑弥呼の死亡時期と見事に符合する。

ただし倭人伝に記された卑弥呼の墓は円墳と推測され、箸墓古墳は前方後円墳という相違点も。
だがこれも後円墳部分に見られる4段の段築部分が、前方部では前面のみで側面には見られないことから、
前方部は後世に追加されたものではないかという説さえある。

現在は樹木が生い茂っているため、外からだと後円部の段築部分はほとんど分からない。
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※2010年11月に撮影。

この真偽は定かとして、一般的な天皇陵クラスが三段築成で、行燈山古墳(伝崇神陵)や渋谷向山古墳(伝景行陵)でも四段築成なのだが、箸墓古墳はさらに小円丘を加えた五段築成になっており、四段より格式の高い墳墓とされる。
実在した最古の天皇だとも謂われる第10代崇神天皇の陵墓より巨大で格式が高い墳墓に、やんごとなき身分とはいえ、一皇女という立場の女性を埋葬するのはどう考えても異例中の異例

例えるなら紅白歌合戦の大トリをA●Bが務めるようなモノか?
もっとも近年、某男性アイドルグループがトリを務めていたりするので、例えにならないかもしれないがw

やはり天皇家の開祖的象徴的立場の人物(例えば天照大神、崇神天皇)か、
それに比するほど人物(例えば卑弥呼、臺與(台与))の墳墓でないと道理が合わない。

皇室ゆかりの陵墓地ということから、以前訪れた際は少し高圧的に立入禁止になっていたが、
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※2010年11月に撮影。

今回は”許可無く立入らぬこと”とだいぶソフトになっていた(笑)
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これは従来周濠など周辺部の調査しか認められていなかったが、2013年に日本考古学協会の要望で、
初めて墳墓内の調査が実現したこともあるのだろう。

もし魏王が卑弥呼に贈ったとされる大量の銅鏡や殉葬された奴婢の人骨などがみつかれば、
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被葬者が卑弥呼である可能性もより大きくなるに違いない。
いずれにしろ今後の調査に期待したい。
※あくまでも記紀の記述や発掘調査結果などから推論しているだけで、定説になっている訳ではありません。

箸墓古墳から300mほど東に行ったところにあるのが、ホケノ山古墳
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福井県のハイカーに馴染のあるホノケ山(737m)ではなく、”ホケノ山”です(笑)

箸墓古墳とそれほど変わらない古墳時代初頭に築造されたとされ、
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方丘(前方)部が短い帆立貝のような形で、纒向式前方後円墳と分類される。
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被葬者は不明だが、大神神社では豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)としている。
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付近は道が大変狭くて、すれ違いもままならない箇所が多いので歩いた方がいいかも。
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付近の散策はこれぐらいにし、三輪山登拝口のある大神神社へ向かう(8:30)
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大神神社大鳥居横の無料駐車場に駐車(8:34)
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”おおかみ”でなく、”おおみわ”と呼ぶ。なお犬神家の一族とは関係ありません(笑)

大鳥居は昭和天皇の行幸と在位60年を記念して、昭和61(1986)年に建立された。
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高さ32.2m、柱間23mの特殊鋼板製の大鳥居で、風速80mのスーパー台風やマグニチュード10の超巨大地震にも耐えられる設計だそうだ。

大神(おおみわ)教会(大三輪崇敬会)
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元々は大神神社と一体だったが、明治維新で三輪山信仰の伝統や奥義が損なわれるのを恐れ、
明治15(1882)年に分離独立。
伊勢信仰と三輪信仰を”表裏一体”、”一体分身”として、敬神と崇祖の理念を掲げている。

教会入口にある非常に珍しい三柱鳥居
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3本の柱が記紀に出てくる造化の三神、天之御中主神(あまのみなかぬし)、高御産巣日神(たかむすび)、神御産巣日神(かみむすび)とされ、三位一体を表しているとされる。

かつて訪れた京都の木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)の元糺の池にも酷似した三柱鳥居がある。
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※2009年7月に撮影。

こちらは日本に渡来した秦氏ゆかりの神社で、秦氏≒ユダヤ失われた10支族という異説から、原始キリスト教(景教=ネストリウス派)と何らかな関係があるのではないかという説も。

秦氏以前は尾張氏が木嶋社一帯を治めていて、元々は天照御魂神(あまてるみむすびのかみ)が祀られていたとされる。
尾張氏の始祖とされる天火明命(あめのほあかり≒天照国照彦火明命)は、前述の高御産巣日神(たかむすび≒高木神)の娘、萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)と天孫族の天忍穂耳命(あめのおしほほみ)との間にできた子供であるという記述から、もしかすると大神教会の三柱鳥居とも少なからぬ因果関係があるのだろうか。

ただ尾張氏といえば崇神天皇の妃(尾張大海媛)や継体天皇の妃(目子媛※)など数多くの后妃を輩出してきた有力豪族で、壬申の乱(672年)では同族の海部氏とともに大海人王子(のちの天武天皇)を支援、擁立に大きく寄与したとされる。
そしてその天武天皇は日本書紀の編纂を命じていることから、多少同族の歴史に権威を与えようと盛っている部分も否定できない。
※福井県池田町にある部子山(1464m)は山頂付近に目子媛を祀る祠があることから、目子ヶ岳となり転じて部子山になったと謂われる。

松並木の参道を歩いて大神神社へ。
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参道の途中にも無料駐車場があった。しまった・・・

電車の場合、JR桜井線(万葉まほろば線)の三輪駅が便利。
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灘や伏見の酒蔵から奉納された菰樽。
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大神神社は京都の松尾(まつのお)大社と並んで”酒の神様”と崇められており、毎年11月14日の行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)では新酒が神様に奉納され、拝殿に杉玉が吊るされる。
よく造り酒屋の軒先にある杉玉は、この大神神社が発祥とされる。

8:47 大神神社弐之鳥居
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一礼して鳥居をくぐる。

前を歩く若者のグループ、どうやら彼らも三輪山に登るようだ。
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境内には厳かな雰囲気が漂う。
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掃除が行き届いており、落ち葉一つ落ちていません。

手水舎で身を清めます。
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左手、右手、口の順で清めるのが作法。
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なお口の際は左手に水を溜めて行い、柄杓に口をつけないこと。

8:51 大神神社拝殿
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延喜式の式内社(明神大社)で、大和国の一宮。
神武東征以前からこの地にあるとされ、日本最古の神社とも謂われている。
なお拝殿の後ろに鎮座する三輪山自体が御神体とされ、本殿はありません。

主祭神は前述の大物主大神(おおものぬしのおおかみ≒大国主神)
配神は大己貴神(おおなむちのかみ≒大国主神)と少彦名神(すくなびこな)

大物主神は蛇神であると考えられ、水神または雷神としての性格を合わせ持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として特段篤い信仰を集めている。また日本国の守護神(軍神)、氏族神(三輪氏の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている(wikipediaより)
古事記では少彦名神が去った後に大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、
「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答え、三輪山に奉じるように命じたとされる。
また日本書紀では大国主神の別名とし、神社の由緒では大国主神の和魂(にきみたま)とされている。
和魂とは”柔和な徳を備えた神霊”を意味し、対になるのは”荒々しく勇猛な神霊”荒魂(あらみたま)。
今風に言うと”アバター”というところかな?(笑)

大国主神は素戔男尊(すさのおのみこと)の息子で、出雲を中心とする国津神(くにつがみ)の代表神。
天孫降臨してきた邇邇藝命(ににぎのみこと)ら天津神(あまつがみ)に国土を禅譲した国譲りの神として有名。
大国主は大物主神、大己貴神の他にも大汝命や大國魂大神など数多くの別名を持っている。

余談ですが、白山の大汝峰(2684m)の大汝神社には大己貴神が祀られています。
もっと余談ですが、文殊山奥院(350m)の正式名称は”大汝峰奥院”と言い、阿弥陀如来(※)が祀られています。
※神でなく仏なのは、本地垂迹(ほんじすいじゃく)で八百万の神が仏の化身であるという神仏習合のため。

大物主神と大国主神が同一ということは、個人的には以下の様に思っている。
古事記の伝える少彦名神との国作りや大物主神とのやりとりが意味するのは、大国主神を中心とする出雲勢力が葦原中国(あしはらなかつくに)を治めるために、神武東征の遥か以前に大和の葛城エリアに進出し、勢力を拡大したことを物語っているのではないだろうか。
そして三輪山信仰として崇められていた大物主神を取り込む形で、大国主神に融合されたのではないだろうか。

拝殿に参拝し、登山口のある狭井(さい)神社へ(8:54)
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三輪山登拝の際は、OPP(おなかぴーぴー)対策は特にしっかりと。
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前述の通り、山そのものが御神体なので山中にトイレなどある訳もなく、急にもよおして万一”お花摘み”や”雉撃ち”しようものなら、トンデモない不遜でバチが当たります(多分)

祈祷殿では朝のお勤めが行われていた。
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逆光なので庇替わりにした指が写っちゃいました(笑)

現代の百襲姫たちに萌え~(*´∀`*)
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箸が刺さらないように気をつけてね(笑)

狭井神社に続く道は、くすり道と呼ばれている。
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病気平癒の神様で、境内にある狭井のご神水は薬水とも呼ばれている。
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そのためかずらりと並ぶ灯篭には全国の名立たる製薬会社の名前があった。

8:58 狭井(さい)神社
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大神神社の摂社で延喜式式内社。正式名称は狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社。
別名、華鎮社(はなしずめのやしろ)、しずめの宮とも呼ばれる。創祠は第11代垂仁天皇の治世と伝わる。

鎮女池(しずめいけ)のほとりにある三島由紀夫揮毫の清明の石碑。
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三島は古神道にも造詣が深く、最後の長編小説である「豊饒の海」では三輪山信仰と大神神社の神事を背景に、「春の雪」が和魂(にきみたま)、「奔馬」が荒魂(あらみたま)、「暁の寺」が奇魂(くしみたま)、「天人五衰」が幸魂(さきみたま)と一霊四魂説が散りばめられている。
三島自身も昭和41(1966)年に友人のドナルド・キーンと三輪山に登拝。その際の感動を表した言葉が、この清明とされる。

池の浮島にある市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)は改修中だった。
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祭神は天津神の市杵嶋姫命(いちきしまひめ)。福岡県の宗像大社中津宮が本宮で、広島の厳島神社も同神の名前が転じたとされる。

9:00 狭井神社拝殿
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ここも大神神社同様本殿はなく、拝殿のみ。
主祭神は大物主の荒魂(あらみたま)である大神荒魂神。
配神は大物主神、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)、事代主神(ことしろぬし)

媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)は大物主神の娘で、神武天皇の后。
※古事記では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)
勢夜陀多良比売(せやだたらひめ≒玉櫛媛)は古事記では大物主神の妻で、媛蹈鞴五十鈴媛命の母。
事代主神は大国主神の子で、日本書紀では勢夜陀多良比売の夫。

ここでも祀られている神々は出雲系の国津神を中心とする旧来勢力。
ちなみに玉櫛媛の父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は鴨(加茂)氏の始祖で、下鴨神社の祭神。
サッカー日本代表のエンブレムでも有名な八咫烏(やたがらす)はその化身とされ、神武東征の際道案内をしたと謂われる。
しかも大物主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命は、天孫族の神武天皇の后になっている。

今度は別の新興勢力である天孫族(天皇家)が、旧来勢力の葛城陣営(大国主・大物主)融合していったと読み取れないだろうか。

しかしここで1つ、大きな疑問点が生じる。

葛城の三輪山と大神神社の関係で、先ほど出雲勢力(大国主神)が土着勢力(大物主神)を融合したのではないかと述べたが、実は似たようなというか、極めて類似する事例が九州北部に存在する。

それは九州北部、福岡県西部と佐賀県東部に跨る鳥栖・甘木エリア
筑後川支流の小石原川北岸にある筑前町弥永(いや)。ここに大己貴神社(おおなむち)が存在する。
主祭神は大己貴命(≒大国主神)で、大神(おおが)大明神とも呼ばれることから、別名は大神神社
しかも筑前町は2005年の平成の大合併で出来た新町名で、合併前の旧町名は三輪町
そして大己貴神社の背後の山は御神体山と呼ばれ、山頂付近には磐座らしき巨岩が点在するという。

大国主、三輪、大神神社、御神体山、磐座etc.、奈良葛城の大神神社と三輪山にあまりにも酷似する。

神社の由緒は、神宮皇后の三韓征伐の際、新羅を討つために兵士を募ったが、逃げ出してしまった。
その原因を占ったところ、”大三輪の神”という祟る神のせいだということが判り、この地に社を建てて祀ったところ、兵士が集まり新羅を平定することができたというもの(筑前国風土記)
神宮皇后は第14代仲哀天皇の后で、身重の身体(後の応神天皇)ながら前線で指揮したと謂われる女傑で、我が福井県とも関係が深い。
神宮皇后は崇神天皇や景行天皇より遥か後の世代なので、大和葛城の三輪に因んで名付けられたと思いがちだが、果たしてそうだろうか?

事実、安本美典氏が大和葛城エリアと鳥栖・甘木エリアの2つの地域の地名を詳細に検討したところ、
80箇所近い地名が一致
主だった地名でも、三輪、朝倉、池田、三井、小田、春日、田原、三笠、天の香山(香山)、久米(久留米)、笠置山、三笠山など。日本全国を探してもここまで地名が一致するエリア同士は見当たらない。
しかもその中心となるのは、いずれも大神神社だということ。

大陸の文化や青銅器や鉄器などが早くからもたらされた倭国の先進地域だった九州北部に、果たして後発エリアの大和の地名を付けるだろうか?
むしろではなかろうか。
また記紀の中でヤマト王権は四道将軍や日本武尊(やまとたけるのみこと)がクマソタケル(熊襲)やイズモタケル(出雲)など各地の豪族を討伐していくのが描かれているが、唯一征討されていないのがこの九州北部エリアのみ。

九州北部の勢力(邪馬台国?天孫族?)が、3世紀中頃に大和葛城エリアに進出。
遠い故郷の地名や信仰を葛城に移植し融合させ、初期ヤマト王権(葛城王朝)を樹立したとみる方が筋が通ると思えないだろうか。
ヤマト王権の起源が九州北部だとすれば、自らの出自の地域を討伐する所以がないのも当然であろう。

ここでも登拝受付の前に参拝。
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大物主神は蛇の化身とされるので、好物とされるが供物として奉納されていた。

長い前説で卵がぐでたまちゃんになっていました(笑)
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参拝の後は拝殿脇にある狭井へ。
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狭井(さい)
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ここから湧き出るご神水は古来より薬水とされ、飲むと様々な病気が治るとされる。

現在は押しボタン方式になっており、ボタンを押すと下の蛇口からご神水が出てくる。
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持参したPETボトルに詰めていただく。

9時を回ったので受付の社務所へ。
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御神体に登らせていただくので、”登山”でなく登拝と呼びます。
なお天候以外に年に数日、祭礼等のため登拝できない日があるのでご注意を。

まずは登拝祈願申込書に住所・氏名・携帯番号、スリーサイズ(ウソ)を記入。
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記入が終わったら、登拝初穂料300円を添えて提出。

三輪山参拝証と書かれた白襷と入山心得や禁止事項などが記載された案内図を授かる。
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入山中は常にこの襷を首から下げます。
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あっ、今日もこまの小屋のTシャツです(笑)

この襷、いい記念になると思いきや、残念ながら下山後社務所に返却しなければならない。
襷には申込書と同じ番号(私の場合1-46)が記されており、返却されていない場合、まだ山中にいることが分かるシステムのようだ。
1-46の46は今日の受付順に1から振られているようなので、もう既に45人が山中にいる計算。
受付開始からまだ5分ほどしか経っていないのに、恐るべし・・・

三輪山登拝案内図 ※クリックすると実物大に拡大します。
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これは貰えます。

神職さんから入山心得禁止事項をよく読んで遵守するよう申し渡されます。
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入山心得の大部分は当たり前のことだが、特筆すべきは6の飲食禁止
お腹が空いたので途中で行動食を摘んだり、山頂でお昼をするのは全て不可
山頂でビアやコーヒーを飲むのももちろん厳禁です。
ただし熱中症予防のため、PETボトル等での水補給は許されています。

また禁止事項として禁煙のほかに、撮影は一切不可
通常山では、”取(撮)っていいのは写真だけ”と言われているが、三輪山ではそれすら禁止。
もっともネットで、”三輪山 山頂 画像”でググれば、山頂の画像がわんさかヒットしますが。。。

記載はされていないが、”登山道から外れない”とか”生理行為を行わない”などの禁止事項も。
敬虔な気持ちでの登拝を考えれば、至極当たり前なのだが。

また事前に下調べしたところでは、
・なるべく裸足で登拝する
・金属製のポールは使わない
などの心得もあるようだ。

裸足で登拝するのは、山自体が神様なので、土足で歩くのは畏れ多いということらしい。
もっとも最近は強制ではなく、靴を履いての登拝も許されている。
金属製のポールを使わないというのは、祭神の大物主神は蛇の化身とされ、蛇は金気のモノを嫌うという言い伝えからのようだ。
登山口脇に竹製の杖があるのでそれを使うか、万一ポールを使う場合でも登拝道(=神様)を傷つけないようにキャップをするのがイイと思います。
スパイク長靴で登拝するなんて、もってのほかですね(笑)

写真撮影は禁止だが、携帯電話(スマホ)はむしろ要携帯
これは山中で怪我など何か不測の事態があった際、各ポイントに書かれた消防署や神社に電話するのに必要なのと、下山が極端に遅い際に社務所から登拝者に連絡するため。
ただし緊急連絡以外の通話やネット、メールのやりとりは当然ご法度です。

9:10 三輪山登拝口(標高約115m ※案内図では80m)
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ザックにさっき汲んだご神水を入れて登拝開始。
登拝口から山頂までは約2kmで、標準タイムは1時間
標高差が約350mなので、例えるなら文殊山二上コースを登るような感じ。

心得通り、御幣(ごへい)でお祓いしてから登ります。
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裸足で登ろうかとも思ったが、私の足の裏はとてもデリケートなので(ウソ)、
初登拝の今回は靴を履かせていただきます。
また車に置いてきたポールの代わりに竹杖をお借りする。

登拝口から先は撮影禁止なので、以降は案内図を使ってのレポとなります。

登拝口~①丸太橋~②中の沢~③三光の滝
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まずは出だしから急坂の階段を登っていく。
裸足だとどうかと思ったが、階段の踏面部分は砂が入れられてキレイに均されている。
また毎日清掃されているのだろうか、木の枝や小石もほとんど落ちていなかった。

2~3分ほど登ると、登拝道は一旦平坦になり、水呑谷(狭井川)に架かる①丸太橋を渡る。
三輪山にクマが居るか定かではないが、襷の先にが付いているので音で知らせることは可能。

②中の沢の標識は見落としたが、この付近から再び急登になる。
この付近は沢沿いの狭い岨道(そばみち)で、すれ違いしにくい。
裸足で全身白装束の行衣姿の方も見受けられた。この出で立ちが本来の登拝時の正装。

岨道を登っていくと前方に何やら建造物が見えてきた(9:26)
休憩所兼更衣室になっていて、更衣室は建物背後の③三光の滝で滝行をされる方が利用。
滝といっても落差4mほどで、人工のモノのようだ。

三光の滝から先は一段急登な岨道となる。
掃除道具やつるはし、掛矢を持った社務員の方が登拝道の整備をされていた。ご苦労様です。


④水呑台~⑤中津磐座(なかついわくら)~⑥烏さんしょう
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④水呑台付近になると多少道幅が広がるが、依然として急登が続く。
よたよた亀足歩きなので、後続の登拝者に道を譲りっぱなし。

三輪山中腹にある⑤中津磐座(なかついわくら:標高364.5m)に到着(9:39)
”磐座(いわくら)”とは古神道における岩に対する信仰や信仰対象の岩そのものを指し、
アニミズム(自然崇拝)の一種。
途中にも注連縄が巻かれた大岩がいくつか見受けられた。

⑥烏さんしょう付近は少し傾斜が緩くなる。
付近にあるカラスザンショウ(烏山椒:ミカン科サンショウ属の落葉樹)の林から名付けられたようだ。


⑦こもれび坂~⑧やしろ前~⑨奥津磐座
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⑦こもれび坂はその名の通り、樹木が茂り隙間から薄っすらと日差しが漏れてくる。
途中にも何箇所かあったが、別の道との合流点を見かける。
地理院地図を見れば判るのだが、三輪山には登拝道の他に、別の山道が幾つか存在する。
初穂料をケチりたいのか、たまに他の道で登って来るハイカーがいるらしいが、これもご法度。
山中には大神神社の腕章を付けた社務員の方が巡回しており、襷のない登拝者には厳重注意の上、即刻下山を命じられるそうだ。私有地なので受付しないで入山することは不法侵入に当たりますのでご注意を。
また登拝道から外れることも禁止されています。

こもれび坂を抜けると前方が開け、⑧やしろ前に到着(10:03)
ここは高宮神社(こうのみや)(標高446.7m)があり、祭神は日向御子神(日向王子)
光を放って登場したとされる大物主神、或いは伊勢に遷宮される前にこの地に鎮座されていた天照大御神を主体とした日神(太陽神)信仰に基づくと思われる。
三輪山山頂では冬至の朝日は伊勢の方向から登るそうだ。

参拝を済ませ、⑨奥津磐座(おくついわくら:標高467.1m)に到着(10:07)
タイムは57分とほぼ標準タイム。山頂には先ほどの若者グループがおられた。
登った感触は文殊山二上コースの旧道(追分~小文殊)が延々と続くような感じでした。
なお高宮神社と奥津磐座の間から少し外れた辺りに三角点(三等・三輪山・466.9m)があるようだが、
登拝道から外れるようなので自粛。

磐座前には供物を捧げる台と賽銭箱があり、その先には注連縄を巻かれた大岩がいくつか鎮座している。
一説によるとこれらの岩を直線で結ぶと、三輪山、巻向山、大和三山(天香具山(あまのかぐやま)・耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま))の配置とピッタリ合うらしい。

キリスト教伝道者で戦前に”古代日本のピラミッド”を提唱した酒井勝軍(さかいかつとき)は、
日本のピラミッドをおおまかに以下のように定義。
・稜線がきれいな三角形の山である事。自然・人工は問わない。
・頂上付近に”太陽石”を置き、その周りに環状の列石(メンヒル)が配置。
・頂上を望む近くに拝殿を設け、鏡石、方位石、ドルメン(支石墓)などを配置。

広島県の葦嶽山(あしたけやま)を始め、岐阜県の位山(くらいやま)、富山県の尖山(とがりやま)などが日本のピラミッドであると主張。
三輪山も山容はキレイな円錐形で、前述の通り、拝殿裏の禁足地、中腹に中津磐座、山頂に奥津磐座などが配置されているなど三輪山≒ピラミッド説もまことしやかに聞こえてくる。
真偽の程はともかく、磐座から崇高なるパワーを戴いて下山開始(10:15)

下りは膝を痛めぬ様、慎重に下っていく。
続々と登拝者が登ってきて、襷に記された番号は既に90番台や二回り目(2-○○)。
意外と人気があるんだな・・・

中にはペディキュアを塗った素足で登ってくるギャルの姿も。
若いのに感心なことで、靴を履いている自分が少し恥ずかしい。
でも神様も若い女性の生足なら大歓迎だろうけど、むさい親父の素足なんぞ気持ち悪いに違いない(笑)

10:54 三輪山登拝口(標高約115m)
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下りは39分。社務所に襷を返納し、拝殿に再度お参り。
散々前説しておきながら、山レポは僅かこれだけかい!(笑)
三輪山に登られる際は、節度を持って各種心得を遵守し、敬虔な気持ちで登らせて戴くようにしましょう。

レポはもう少し続きますので、今しばらくお付き合いを(笑)
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1.5km先にある同じく大神神社の摂社である檜原神社にも寄っていこう。
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山肌を縫うように続く幅1mほどの小路。
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この道は三輪山の麓から春日山の麓までの約35km、奈良盆地の東縁沿いを南北に結んだ古道で、
山辺の道(やまのべのみち)と呼ばれている。

途中には付近の農家の方が作られた野菜や果物が無人販売されていた。
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早生みかんが1袋100円って安い!

別の販売所でもあけびや柿、すだちなどが100円で販売。
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お土産にあけびと柿を購入。柿5個で100円って安過ぎますよね。

脇道から20名以上の団体さんが出てきたので、先に行って貰う。
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うん? 何やら良さげな雰囲気のこのお店。
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檜原神社の帰りに寄ってみよう。
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付近の畑にはたわわに実った柿。
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落ちてこないかな・・・(笑)

往時の山辺の道は葛城エリアと春日エリアを繋ぐ大動脈で、例えるなら国道1号線
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古事記で崇神陵(行燈山古墳)や景行陵(渋谷向山古墳)が山辺の道沿いにあるという記述から、
少なくとも7世紀末には存在し、基となる道は4世紀頃にはあったのではないかと謂われている。

団体さんに追い付いてしまったので一緒に行きます。
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大神神社から石上神宮までの約15kmは、ハイキングコースとして東海自然歩道にもなっている。
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ここはよくTVで山辺の道が取り上げられる際に出てくる場所だそうです。
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ガイドさんの説明を盗み聞きしました(笑)

11:23 檜原(ひばら)神社
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主祭神は天照大神若御霊神(あまてらすおおかみのわかみたまのかみ)、
伊奘諾命(いざなぎのみこと)、伊奘冊命(いざなみのみこと)

ここは本殿はおろか拝殿すらなく、あるのは三輪鳥居という特殊な鳥居のみ。
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”三ツ鳥居”とも呼ばれ、明神鳥居の両脇に小さな鳥居を組み合わせた形。
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大神神社拝殿裏にも同様な三輪鳥居があるのだが、残念ながら禁足地なので見ることができない。
各鳥居の入口に格子が嵌め込まれていて、人間も入れないないが、神も通り抜けることできない。
邪神や不浄なモノの進入を拒んでいると謂われるが、神自体を封じ込めている印象を受ける。

この付近はかつて大和の笠縫邑(かさぬいのむら)と呼ばれていた。
日本書紀(崇神記)の記述によると、第10代崇神天皇が皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に、
それまで宮中で奉祀していた天照大神を笠縫邑に移すよう命じたとされる。

「先是、天照大神・倭大国魂二神、並祭於天皇大殿之内。然畏其神勢、共住不安。故以天照大神、託豊鍬入姫命、祭於倭笠縫邑」
(これより先に、天照大神・倭大国魂、二の神を天皇の大殿の内に並祭る。然うして其の神の勢いを畏りて、共に住みたまふに安からず。故に天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑に祭る。)

この時天照大神と同様に、倭大国魂(≒大物主神)も渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に命じて、穴師邑(あなしむら)に遷座させたが、倭大国魂の霊力が強過ぎて渟名城入姫命の髪が抜け落ち、身体が痩せ細ってしまったために、長尾市宿禰(ながおいちのすくね)に命じて大和(おおやまと)神社に祀られた。

これらの出来事はヤマト王権による政教分離と見るのが一般的だが、一方では神遣い(かみやらい)とし、
倭大国魂(≒大物主神)、つまり葛城の旧勢力の影響力を排除したいがために、
天照大神も合わせて遷座するという大義名分を立てて、両神を宮中から追放したと言えないだろうか。

一画にある末社の豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)
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初代の御杖代(みつえしろ=斎王)である豊鍬入姫命を祀っているが、創祀は昭和61(1986)年とごく最近。
また大神神社では先ほど訪れたホケノ山古墳の被葬者としている。

その後天照大神(八咫鏡:三種の神器)は、第11代垂仁天皇により豊鍬入姫命から離され(降格?)、
皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)に託された。
倭姫命は理想的な鎮座地を求めて、伊賀、近江、尾張などを遷幸し、伊勢の度会宮(わたらいのみや)に遷座。
これが現在の伊勢神宮(内宮)になったと謂われている。
このため檜原神社を含め、倭姫命が遷幸した場所は元伊勢と呼ばれている。

ちなみに倭姫命は日本武尊(やまとたけるのみこと)の叔母に当たり、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授けたことでも有名。また豊鍬入姫命や倭迹迹日百襲姫命などと同様に巫女的存在だったとされ、彼女を卑弥呼とする説もある。

そろそろ戻ることにしよう(11:27)

戻る途中、頭の中を整理していると、自分の中にある仮説が浮かんできた。

卑弥呼≒天照大御神≒倭迹迹日百襲姫命

この3人に共通するのは、女性で、巫女的な存在で、(又は夫)がおり、突然の死を迎えた等々。
しかも彼女らの死後、男王が立ち、国が乱れて再び女性が王位(斎王)に就いた点も酷似。

卑弥呼     ・・・弟王、卑弥呼以死、男王(不明)、台与(臺與)
天照大御神   ・・・須佐之男命、天岩屋戸事件、高御産巣日神(高木神)、萬幡秋津師比売命
倭迹迹日百襲姫命・・・大物主神、箸墓伝説、崇神天皇、鍬入姫命

古事記が伝える天岩屋戸事件は、おおまかにこんな感じ。

弟、須佐之男命(すさのおのみこと≒素戔男尊)の乱暴な振舞いに反発し、天照大御神が天岩屋戸に隠れてしまい、世界が暗黒になってしまった。そこで困った他の神々は一計を案じる。舞踊の女神のアメノウズメに舞を躍らせ、神々の歓喜の声に興味を惹かれた天照大御神が岩戸を少し開けたところを、力の神タヂカラオが一気に押し開けて引っ張りだし、世界は再び光を取り戻したという。

この天照大御神が”天岩屋戸に隠れた”という表現は、実は天照大御神のを意味しているのではないかという説がある(和辻哲郎氏、安本美典氏など)

記紀では天岩屋戸以前には天照大御神が単独で行動しているが、天岩屋戸以後はなぜか、ほとんど高御産巣日神と連名で行動している。
高御産巣日神の娘である、萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)は、天照大御神の跡を継いだ天忍穂耳命(あめのおしほほみのみこと)の妻となり、二人の間に生まれたのが天孫降臨で有名な
邇邇芸命(ににぎのみこと)である。
つまり天岩屋戸以後の天照大御神は別人で、高御産巣日神の娘の萬幡豊秋津師比売命だったとする。
そして和辻哲郎氏は、天岩屋戸以前の天照大御神が”卑弥呼”、天岩屋戸以後の天照大御神が”台与”(とよ)だったのではないかとしており、この説には私も大いに賛成している。

ここからは私見であるが、卑弥呼や天照大御神の死は”病死”とか”自然死”ではなく、ある種の処刑、
つまり殺害されたのではないかと見ている。
それはこういうことだ。

呪術を司る巫女は、その神聖な力を維持するために処女性が求められ、
夫を持たないとされており、二人共独身だったと謂われている。
だが男と女の仲はいつの世も普遍的で、いくら禁欲しようが恋に落ちることは充分考えられる。

二人共、許されぬ相手(天照大御神の場合は弟の素戔男尊で、卑弥呼の場合も弟王)と関係を持ってしまったのではないだろうか?
これは単に姉弟という近親相姦だけでなく、征服者と被征服者という関係も暗示しているのかもしれない。
処女性を失い、神聖な能力(もしくは威光)を失った彼女たちは、彼女らを神輿として担いでいた者達の手によって、その座から引き摺り下ろ(殺)されたのではないだろうか。

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の場合は、征服者側の百襲姫(≒天照大御神≒卑弥呼)と被征服者側の大物主神(≒大国主神、本当は素戔男尊ではないか?)が契りを結ぶという、ロミオとジュリエットのような許されざる関係の末、殺されたとは見れないだろうか。
崇神天皇が同床共殿されていた天照大御神と倭大国魂(≒大物主神)の両神をそれぞれ遷座させたという記述も、こう考えると納得できる。

天照大御神と卑弥呼や百襲姫の時代には大きな隔たりがあると言われているが、この時代の天皇はいずれも長命で、孝霊天皇は128歳、崇神天皇は120歳、垂仁天皇にいたっては140歳と記されいる(日本書紀)
もちろん医学の進んだ現代でもこのような長命は有り得ない数字で、一般的には否定されている。
ただ岡正雄氏や江上波夫氏の説では、古代天皇の享年が極端に長いのは、この当時は半年を1年としていたのではないかと唱えている。
この説に基づけば、孝霊天皇が64歳、崇神天皇が60歳、垂仁天皇も70歳と充分検討できる数値に収まる。
ちなみに現在の宮中祭祀にも、大祓(おおはらい)や大殿祭(おおとのほがい)、皇霊祭(こうれいさい)など半年ごとに年2回行われているものがあり、あながち否定できない。

記紀には細かい表記の違いや関係性の違いもあり、矛盾する点も多々あるのだが、
いずれにしろ、ヤマト王権黎明期の謎がこの葛城エリア一帯を中心に展開されたことに間違いないだろう。
これらの仮説の解明には、もっと有力な物証が必要で、更なる発掘調査が進むことを切に望みます。

※あくまでも古代史好きなオヤジの一私見であり、レポ内で出てきた各団体や祭祀の尊厳を否定したり、毀損させるものではありません。

さすがに書いている本人も疲れ果てました(笑)
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でもまだもうチョッとお付き合いを・・・ って、まだ続くんかい!w

山辺の道 花もり
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大きな木蓮の木が目印です。

先ほど気になったのは外観や雰囲気だけでなく、このメニューに目が留まったため(笑)
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店内にカウンター席もあるが、大部分は開放感溢れるお庭席。
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登山靴を履いているので、むしろこの方がありがたい。

目に留まったのは季節限定のかき氷
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禍々しい色のシロップをかけたかき氷とは違い、いずれも厳選した国産品を使用した純和風のかき氷。
自家製の苺ソースと苺アイスの入った(650円)や引き立てのきな粉と黒蜜のかかったわらび餅が入った
氷わらび(600円)など、どれも美味しそうなものばかり。

”数量限定”や”秋に美味しい”というコピーでコレにしようかと迷ったが、別のモノをオーダー。
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なおスイーツ以外にも三輪素麺や季節のお弁当などのお食事(繁忙日は要予約)もいただけるが、
お昼は既に決めているのでパス。

柔らかな日差しと爽やかな秋風が吹き渡り気持ちがいい~
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注文から7分ほどで運ばれてきた。

宇治ミルク金時(650円)
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美味しい氷を作るために、わざわざ吉野から柔らかい天然水を汲んできているそうだ。

また抹茶は1回ずつ注文を受けてから点てるこだわりも。
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抹茶をたっぷりかけていただきます。
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う~ん 美味しい!

上品な甘さの蜜とたっぷりの粒餡と練乳、そして淹れ点てのお抹茶のほのかな苦味が見事にマッチ。
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ハイクで疲れた身体とクールダウンにはピッタリ!

し・あ・わ・せ・・・
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平日だったせいか、私以外にお客は居らず、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

山辺の道 花もり

月山記念館(入館無料)
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狭井川のほとりにあり、出羽月山の刀工の流れを組む月山一門の刀剣や鍛錬場などが見学できる。
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こちらに進むと知恵の神、久延毘古命(くえびこ≒案山子)を祀る久延彦神社(くえひこじんじゃ)
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もう文殊山で充分知恵を授かっているのでパス(ウソ)

先ほど指が入ったので、祈祷殿を撮り直し(笑)
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大神神社を抜けて、駐車場に戻ります(12:28)
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駐車場に戻ると、反対側の駐車場で何やらイベントをやっている。
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大神神社(桜井市)と所縁が深い、伊勢神宮(伊勢市)、出雲大社(出雲市)の交流イベントとして、
それぞれの名産である三輪素麺伊勢うどん出雲そばの三つの麺を柱にした
三麺サミットなるものが開かれていた。
しかもその三麺が無料(限定1000食)で振舞われるというウレシイ企画。 これは是非いただかないと!

うん? なんかおかしい・・・
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午前11時(600食)と午後3時(400食)の2部制で、午前の600食は全て終了したそうだ(涙)
さすがに15時まではまだ2時間以上あるので断念。

爆発寸前のよっし~の荒魂を抑えながら、次の目的地へ。
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祟ってやるぞ~(ウソ)

自分でも呆れるぐらいの長文をご拝読いただいた方、大変お疲れさまでした(笑)


やっぱり、山っていいね!

三輪山(467m)
標高差352m
登り 57分、下り 39分、TOTAL 1時間44分
出会った人 120人ぐらい 出会った動物 なし

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