戦国ロマン探訪 ~天王山(270m)~
ポンポン山を降りてまだ正午前。
これで今回の遠征計画は全て消化したが、まだもう1座ぐらい登れそう。
近場で何かイイお山はないかな。。。
天王山(てんのうざん)(270m)

京都府と大阪府の境界に位置し、地峡になっていることから古来より交通の要所とされてきた。
この地で繰り広げられた山崎の合戦で、秀吉の天下取りを決定付けたことから、「天下分け目の天王山」という表現が生まれたことでも有名。

経済環境課で観光パンフを入手。
パンフによると大山崎町の登山口は、JR山崎駅近くからと円明寺側の小倉神社からの2箇所。

今回は山崎駅側から登り、小倉神社側に縦走しよう。
車を役場の駐車場に停めさせていただき、1kmほど先の山崎駅方面に向かう(12:00)

12:25 阪急大山崎駅(標高約14m)

お腹が空いたので、おそば屋さんで軽く腹ごしらえ。

付近は阪急やJRの線路が併走しているので、脇道が入り組んでいて少し分かりにくい。

JR線の踏切を渡る。

ピストンする場合は駅周辺の有料の駐車場(1時間2~300円)が便利。
また近くにある妙喜庵には、千利休が造ったとされる最古の茶室で国宝の”待庵”(たいあん)がある。
ただし見学は往復ハガキによる事前予約制。
12:40 天王山登山口(標高約25m)

ここ以外にも400mほど北に行った観音寺(山崎聖天)からの登山口がある。
天王山付近にはサル・シカ・イノシシなどの野生生物がよく出没するようだ。

かかってこいや~(←ウソ)
まずは高級な住宅街の急坂を登っていきます。

ここもかなりキツい傾斜ですが、山の手マダムたちはさっそうと登っていました(笑)

クマが出没!

これはかなり危険です。刺激しないように足早に通り過ぎる(笑)
12:48 宝積寺(ほうしゃくじ)(標高約76m)

聖武天皇の勅願を受け行基が開山したと謂われる。山門にある金剛力士像は国指定の重要文化財。
三重塔(国重要文化財)

本堂

府の登録文化財で、本尊は木造十一面観音立像(重要文化財)。
山崎の合戦の際には、秀吉の本陣が置かれたとされる。

登山口には本堂の右手から。

明後日から2日間(2/27・28)、地元猟友会により有害鳥獣捕獲が行なわれるそうだ。

ここから先がハイキングコースとなる(12:54)

道幅は広く、斜面に取り付きながら登っていく。

途中から資材運搬用と思しきモノレールの線路が現れる。

人間は運んでくれないのかな?(笑)
急な箇所はほとんどありません。

13:06 青木葉谷広場(あおきばだに)(標高約115m)

ここで小休止。
三川合流展望台とも呼ばれ、桂川、宇治川、木津川の合流点が望める。

天気がイイと大阪の高層ビル群や大阪城も望めるそうだが、例の大気汚染物質で霞んでほとんど見えず。ほんと迷惑な国だな~(怒)
堺屋太一氏の「秀吉の道」の一場面を説明したオブジェもあり、歴史を学べる。

13:17 観音寺コース合流点(標高約150m)

擬木の階段が設置されている箇所は段差が大きいので、階段じゃない場所の方が歩き易い。

13:20 酒解神社鳥居(標高約170m)

近くには秀吉方が千成瓢箪の旗印を立てたとされる「旗立松」がある。
また展望台もあり、説明板によると

眼下の地で天下分け目の山崎の合戦が行なわれた。

羽柴軍4万、明智軍1万6千。圧倒的な戦力差もあって、戦いは僅か1日で秀吉軍の勝利となった。

先に進もうとすると会社から電話が入り、しばし仕事タイム(涙)
しばらく行くと道が二手に分かれる。

どちらに行っても先で合流するようなので、左側の十七烈士の墓の方へ。
なおこの真下辺りを名神高速の天王山トンネルが通っているそうだ。
13:32 十七烈士の墓(標高約215m)

元治元(1864)年の禁門の変(蛤御門の変)の際、敗れた真木和泉守以下17名の尊皇攘夷派の志士たちが天王山中で自刃した。
道中のあちこちにある119番通報ポイントの看板。

緊急時に番号を伝えることで場所が特定しやすくなる。
13:34 三社宮(摂社)

右から天照大神(あまてらすおおみかみ)、月讀大神(つきよみのおおみかみ)、蛭子神(えびすのかみ=ヒルコ)の3神が祀られている。
三貴子(みはしらのうずのみこ)の残り1神の素戔男尊(すさのおのみこと)でなく、なぜヒルコが祀られているのだろう?
山崎の戦いに破れ坂本城に落ち延びようとする明智光秀。

小栗栖の竹藪で落ち武者狩りの土民によって討ち取られたとされる。
13:35 酒解神社(さかとけじんじゃ)(標高約223m)

正式名称は自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)と舌を噛みそうな名前なので、地元の方は「酒解さん」と呼ぶことが多い。
主祭神はイザナギとイザナミの子の大山祇神(おおやまつみ)。

かつては牛頭天王(ごずてんのう)を祀る山崎天王社と呼ばれていたことが山名の由来で、神仏分離令により現在の名称に改称された。
酒解神社から山頂まではあと200mほど。

13:44 天王山山頂(標高270m)

タイムは1時間4分。年配のご夫婦と思しき方がおられたが、格好はどう見ても観光のついでにといった感じだった。すごいですね~(笑)
山頂には大きなケルンがあった。

山崎の合戦に勝利した秀吉は、一時この山崎城(天王山城)を居城とし、

その後賤ヶ岳の戦いでも勝利し、名実ともに天下人への道を歩んだ。
下りは小倉神社方面へ(13:52)

こちらのコースの方が登山道っぽい。

天王山には竹林が多く、切り出し作業している音も響いていた。

なお登山道以外はほとんど私有地なので、みだりに竹林に入らないように。

平日にもかかわらず30名ほどの団体さんとすれ違う。

彼らは逆コースで縦走されるみたいだ。
下るだけと思っていたら、登り返しも(汗)

14:13 ショートカット路分岐(標高約290m)

正規ルートは直進だが、展望台と近道という言葉で思わずコチラへ。
なおそのまま真っ直ぐ進んでいくと、先ほど登ったポンポン山にもいけるようだ。
14:15 大反射板(標高約270m)

眼下には京都盆地が広がる

急坂と書いてあったが、本当に急だった(苦笑)

難儀しながらも本コースに合流(14:32)

この近道コースは、登りも下りもあまりおススメしません。
ここからは沢沿いに林道を下っていく。

14:37 天王山小倉神社登山口(標高約85m)

下りは45分。
小倉神社

延喜式内大社で乙訓(おとくに)エリアで最も古い神社のひとつ。桓武天皇が長岡京から平安京に遷都する際に、都の鬼門除けとされたと謂われる。
車を停めた大山崎町役場までは約1.5km。

途中道が入り組んでいるので、地図がないと迷いやすい。
15:10 大山崎町役場(標高約13m)

これで今回の遠征は終了。
遠征2日間で合計5座。歩いた歩数も7万歩を超えていた。
大好きな歴史にも触れ合える里山歩き。今度はどこへ行こうかな?
やっぱり、山っていいね!
天王山(270m)(登り:宝積寺ルート 下り:小倉神社コース)
標高差245m
登り 1時間4分、下り 45分、ウォーク 1時間、TOTAL 3時間10分
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