2014年2月24日(月) 晴れ

本日3座目はこのお山。

山本山(やまもとやま)(324m)
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旧湖北町と旧高月町に跨る山で、琵琶湖岸に沿って南北に細長い尾根を持ち、さながらエジプトのスフィンクスが伏せているような山容である。

上から読んでも、下から読んでも、”山本山”
昔よくCMで流れていた海苔メーカーの回し者じゃありません(笑)
旧高月町には他にも山田山(541m)という山もあるらしい。
R8から標識に従い、登山口のある山本集落へ。
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途中でみかけた看板。
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”エッチマン”って。。。 なんか戦隊モノのヒーローみたい(笑)

14:06 山本山山本登山口(標高約93m)
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朝日小学校脇から登るようだが、駐車場らしき場所はどう見ても小学校の敷地内。
おそらく教職員用の駐車場で何台分か空いていたが、ここに停めていいものかどうか不明。
ここから登るのが山頂まで一番近い(800m)ルートだが、縦走するつもりだったので、3kmほど先の西野水道親水公園から登ることにする。

14:17 西野水道親水公園(標高約96m)
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かなり大きな駐車場があり、トイレや休憩所も整備されている。

西野水道の説明看板。
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琵琶湖と高月側を隔てるように聳えるこの山本山のため、行き場がない余呉川は大雨のたびに氾濫を起こし、流域の集落に大きな被害をもたらし、特に西野地区は浸水や不作に見舞われることが多かった。
このため地元の僧、恵荘(えしょう)上人が山本山を貫く水道(放水路)を造ることを決断。
天保11(1840)年に工事を始め、固い岩盤や落盤事故で工事は難航を極めたが、弘化2(1845)年に6年の歳月をかけて完成した。

西野水道(初代)
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高さ2m・幅1.2m・全長220m。工事費用の1275両は、現在の価値に換算するとおよそ5億円。

”近江の青の洞門”とも呼ばれ、県の史跡に指定されている。
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水道内を見学できるようで、必携品の長靴・懐中電灯・ヘルメットは休憩所で借りることができるそうだ。
今回は時間がないのでパスしたが、是非歩いてみたい。でも私だと、対向者とすれ違えないかも(笑)

西野水道(2代目)
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昭和25(1950)年に完成。高さ4m・幅4.5m・全長245mで、工事費用991万円。
車両が進入しないよう車止めがしてあるが、歩行者はOK。

西野水道(3代目:現在)
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昭和60(1980)年に完成。高さ10.3m・幅10.3m・全長252mで、工事費用36億円。
こちらは現役でかなり大きい。なおトンネル内は急勾配で流れが速く、出口側は水面下約6mになるので、進入禁止になっている。

14:21 山本山西野登山口(標高約100m)
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イノシシ除けのフェンスを開けてハイク開始。今度はアイゼンと目出し帽も持参しています(笑)

右手に張られたフェンスの中、林道を進んでいく。
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なんか檻の中を歩いているようだ(笑)

14:25 林道分岐(標高約100m)
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山本山山頂までは約3.2km。

稜線へ斜面を巻きながら登っていく。
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この道はかつて”木戸の道”と呼ばれ、反対側の木戸湊(きどみなと)は、大浦や塩津などとともに琵琶湖の水上交通の重要な拠点だった。

14:32 西野分岐(標高約153m)
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ここでソロの男性とお会いする。男性はこの先の木戸湊跡に降りて行かれたそうだが、道が途切れていて引き返してきたとのこと。

右へ行くと以前登った賤ヶ岳に通ずるトレイル。
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余呉から賤ヶ岳を経由して山本山に至る縦走コースは片道約12kmで、是非歩いてみたい。

分岐から山頂までは残り2.7km。
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登山道は意外としっかりしていて、なだらかに登っていく。
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時折木々の間から琵琶湖と竹生島(ちくぶじま)が見える。
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古保利古墳群(こほりこふんぐん)(C-16号墳)
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稜線上には古墳時代初期(3世紀)から飛鳥時代(7世紀)にかけての数多くの古墳が点在。
現在確認されているだけで前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基の計132基もあり、全国でも有数の一大古墳群として国指定の史跡になっている。

先ほどの西野水道は、ちょうどこの真下を通っているようだ。
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このような道標が整備されているのでありがたい。
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途中からはほとんど平坦な箇所が多かった。
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でも湖面を吹き渡る風が冷たいので、目出し帽を装着。持ってきて大正解!(笑)

このように倒木が道を塞いだ箇所が何箇所かあった。
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14:56 片山越え分岐(標高約192m)
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琵琶湖側の片山集落は昭和30年代までは陸の孤島で、
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子供たちは熊野側の古保利小学校まで、この山越えの道を通ったそうだ。

少し傾斜がキツくなってきた。
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スフィンクスの”首”辺りに差しかかったのだろう。

”頭”はもっとキツそう。。。(笑)
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戦略的に重要拠点だった山本山にも、中世から近世にかけて山城(山本山城)が築かれた。
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平安後期、源頼義の三男・新羅三郎義光の血を引く山本義定、義経親子が築城したとされる。
なお山本氏の本姓は”源”(近江源氏)で、山本義経の正式な姓名は”源義経”
頼朝の弟で源平合戦で有名なあの源義経(河内源氏)と同姓同名なので、義経2人説※が生まれた一因とも謂われている。

※源義経の幼少期は謎の部分が多く、兄頼朝と対面し歴史の表舞台に現れた治承4(1180)年までは極めて史料が少ない。
一方山本(源)義経は弓や馬術に秀でていたとされ、同じく治承4(1180)年に頼朝に拝謁。その後木曾(源)義仲軍に加わり、京から平家を駆逐し伊賀の国司に任じられたが、義仲が討たれた寿永3(1183)年以降は忽然と歴史の舞台から消えてしまった。
その後源義経が、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と華々しい戦果を挙げたことなどから、二人を同一人物、もしくは入れ替わったとする異説が生まれたのも頷ける。

いよいよスフィンクスの”頭”部分の急登にさしかかる。
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階段の段差が大きく、倒木もあるので結構歩き辛い。
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15:22 山頂まで300m地点(標高約310m)
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急登は終わったが、山頂まではもうひとふんばり。

山頂に近づくにつれ、堀切や土橋など山城の遺構が目立ってくる。
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馬の蹄跡
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二番馬場跡
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眺めも良くなり、琵琶湖を望みながら進んでいく。
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堀切にかかる木橋を渡ると山頂が見えてきた。
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15:31 山本山山頂(山本山城本丸跡)(標高324m)
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タイムは1時間10分。山頂には誰もいなかった。

土塁に囲まれた本丸跡(東西25m南北40m)の隣には、広大な二ノ丸跡(東西40m南北70m)
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戦国期には浅井方の支城として、阿閉貞征(あつじさだゆき)・貞大(さだひろ)親子が守備。
琵琶湖から小谷城へ物資を運ぶ重要拠点であったため、木下藤吉郎(秀吉)により攻撃されたがなかなか落城せず、天正元(1573)年8月に調略でようやく降伏し開城。
これにより浅井方は陸・水路とも物流を完全に断たれ、小谷城は孤立し翌月に落城した。

織田家の家臣になった後もまたもや阿閉親子の日和見主義が出て、信長が討たれた本能寺の変の際には明智方に加担し、秀吉の居城長浜城を攻撃占領。
しかし今度はそれが災いとなり、山﨑の合戦で敗れて捕えられ、磔刑に処せられたそうだ。
勝ち馬を見極めるのは、なかなか厳しい~(笑)

二ノ丸跡に三角点(二等・山本山)あるらしいのだが、見つけられなかった。
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以前はもっと鬱蒼と木々が茂っていたようだが、近年伐採され新たに桜の木が植えられた。
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イノシシくんが出没するようで、あちこち掘り返された跡が多かった。
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誰も登ってこないようなので、下山開始(15:41)
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ここから山本側登山口までは800mと短いので、急坂が待っているようだ(汗)

15:43 三ノ丸跡(標高約305m)
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林道ぐらい広い道幅だが、予想通りかなりの急勾配。
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この辺りで地元のご老人と遭遇。すみません驚かせて。不審者じゃありません(笑)

また麓の朝日小学校の児童が作った看板も何枚か見かけた。
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15:57 忠魂碑(標高約160m)
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ここから先は石畳の階段になるので少し歩き易くなる。
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冷たい風もなくなったので、マスクを外す。

イノシシ除けのゲートの先に建物が見えてきた。
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16:00 常楽寺観音堂(標高約123m)
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かつては麓の朝日山神社と同じ敷地にあったが、神仏分離令により現在の地に移された。
地元の方からは親しみを込めて「山寺の観音さん」と呼ばれている。

境内にはユーモラスな石像が多数設置されている。
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しかも顔やポーズが特徴的で、おそらく寄進されたご自身の顔を模しているのであろう。
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中にはご夫婦だろうか、仲睦まじく肩を寄せ合っている像もあった。
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16:05 山本山山本登山口(標高約93m)
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下りは24分。

朝日山神社の前では、児童の下校を見守る先生たちが立っていた。
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良かった、マスク外しておいて。あのまま降りていたら”エッチマン”扱いされていたかも(笑)

駐車場の西野水道公園までは約3.2km。
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阿閉(あつじ)側では、山本山を阿閉山と呼ぶこともあるそうだ。

西阿閉の集落を抜けて農道へ。山本山の東麓なのでお日様が陰り、冷たい風が吹きすさぶ。
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背に腹は代えられない。やっぱりマスクを被ろう。

風除けと人目?を避けて山麓の林道へ(16:35)
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ここなら不審者に間違われることもないだろう(笑)
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16:42 熊野登山口(標高約100m)
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先ほど稜線で交差した片山側へ通ずる山越えの道。

16:48 片山・熊野トンネル(標高約97m)
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全長320mで、昭和53(1979)年に湖周道路の一部として開通した。このトンネルができたおかげで、片山地区との行き来が格段に良くなった。

遠いよ~ お腹空いたよ~
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ようやく駐車場が見えてきた。
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17:01 西野水道親水公園(標高約96m)
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駐車場には私の車だけだった。

久しぶりに1日3座、合計18kmも歩き、心地良い疲労感。
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浅井・織田氏ゆかりの3山を回り、たっぷり戦国ロマンを味わえたハイクだった。
今度は是非賤ヶ岳から縦走してみよう!

今回歩いたコース。
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(教訓) マスクはTPOに合わせて被ろう(笑)

やっぱり、山っていいね!

山本山(324m)(登り:西野水道ルート 下り:山本ルート)
標高差231m
登り 1時間10分、下り 24分、ウオーク 56分、TOTAL 2時間44分

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