2014年2月24日(月) 晴れ

一昨日の富士写ヶ岳ハイクで、”あゆむくん”が逝ってしまった。
すぐに後釜の木製ワカンを購入したが、いきなり1000m級の山で試すのもチョッと不安だし、里山クラスではだいぶ雪が溶けてしまっているので、デビューは来シーズンになりそう。
しばらく雪のない山へのハイクになるが、県内の里山は雪解けでドロドロの場所も多そうで、春のお花たちもまだ少し早い。それならばということで、以前から狙っていた県外のお山へ。

小谷山(おだにやま)(494.5m)
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お隣滋賀県長浜市にある山で、北近江の戦国大名浅井氏の居城があったことでも有名。
すぐ麓をR365(旧北国街道脇往還)が通っており、何十回もその前を走っているが、立ち寄ったのは僅かに1回だけで、しかも麓付近のみ。
越前の戦国大名朝倉氏とも関連が深い地なので、一度登ってみたかった。
7時に自宅を出発し、R8、R365で小谷城跡のある旧湖北町へ。
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浅井氏は通常”あさい”と呼ばれることが多いが、地元では”あざい”。現在は平成の大合併で長浜市になったが、隣の旧浅井町(旧東浅井郡)や福井県境と接する旧西浅井町(旧伊香郡)のいずれも濁る。

9:18 江のふるさと館(伊部親水公園)駐車場(標高約95m)
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ここは2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の放映を記念して整備された。
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小谷ゆかりの武将たちの記念撮影用のパネルがずらり。
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浅井氏を滅ぼした織田信長公のパネルは一番端っこの扱い。
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やはり地元の方は今でも信長公を恨んでいるのかな?(笑)
また浅井・朝倉方と織田方に分かれているようだが、そうすると堀秀政と赤尾清綱は逆にしないといけないのだが。。。

足湯もあったが、お湯がなかった。
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冬だから? それとも故障中?

今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」を記念した幟も数多く立てられていた。
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黒田官兵衛(如水)の出身地の姫路(兵庫県)や晩年の領地である中津(大分県)が町おこしで利用するのは納得できるが、滅ぼされた相手側の武将を利用するとは、さすがは近江商人恐るべし(笑)
(追記)
黒田官兵衛の祖先は実は長浜市の黒田地区が発祥だそうで、近江と大いに縁があるそうです。
無知ですみません。

でもこの抜け目ない商魂は、我が福井県も見習わなければ。。。
前述の「江~姫たちの戦国~」放映の際、福井は浅井三姉妹の母、お市の方の再嫁ぎ先であり、柴田勝家公を祀る柴田神社にはお市の方や三姉妹のブロンズ像もあるのだが、街全体の盛り上りはイマイチで、一体感もほとんど感じられなかった。

準備を済ませ登山口へ。
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この道は中部北陸自然歩道にも指定されている。

今回利用するのは小谷城址を巡る大手道(南尾根)ルート
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他にも清水(きよみず)谷ルート、南西尾根ルート、東尾根ルート、北尾根ルート、上山田ルート、下山田ルートなど、たくさんの登山コースがある。

中腹の番所跡までは舗装された林道が通っているので、車で登っていくことができる。
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9:31 大手道(伊部)登山口(標高約103m)
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大手道というだけあって道幅は広いが、
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のっけから結構キツい傾斜が続く。
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5分ほどで林道と合流。
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出丸跡(でまる)(標高約152m)
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南尾根の最先端にある曲輪で、麓の北国街道に睨みを利かせていたとされる。

50mほど林道を進み、左手の登山道へ。
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芽吹く前の雑木林の中をなだらかに登っていく。
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クロモジ
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登山道にはチャート層の岩が目立つ。
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9:47 間柄峠址(まがらとうげ)(標高約210m)
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説明板によると、大永5(1525)年、江南の六角氏(定頼)が小谷城に来攻した際、浅井氏(亮政)を助けるために越前より朝倉金吾宗滴(そうてき)と先鋒の真柄(まがら)備中守が来援。朝倉軍が布陣した地をそれぞれ金吾丸・真柄峠と称するが、地元では古くから「間柄峠」として伝わるとあった。
名前の由来となった真柄備中守とは、おそらく朝倉家中随一の豪傑とされ、姉川の合戦で戦死した真柄直隆・直澄兄弟の先祖なのかも。

9:51 望笙峠(ぼうしょうとうげ)(標高約233m)
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ここは駐車スペース兼展望台になっており、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)が望めることから、
このように(笙=竹+生)名付けられたとされる。

なぜか肝心の竹生島が写った画像が1枚もありませんでした(笑)
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正面の山は小谷攻めの際に織田勢が陣取った虎御前山(とらごぜやま)(224m)。

東側には3週間前に登った日本百名山の伊吹山(1377m)が望めた。
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望笙峠から少し進むと道が二手に分かれる。
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右の階段は前述の金吾丸跡を経て番所跡に向かうルートで、左は巻き道。

どうやら小ピークのようだが、せっかくなので金吾丸に寄ってみる。
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10:01 金吾丸跡(きんごまる)(標高約300m)
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ここで1人の男性と遭遇。でもハイカーじゃなく、仕事の途中に立ち寄られた感じ。
サボり、息抜きですかね?(笑)

ここに陣取ったとされる朝倉(金吾)宗滴は最後の当主義景(よしかげ)の高祖叔父で、貞景、孝景(宗淳)、義景の3代に渡って朝倉家を支えた。
なお”金吾”とは衛門府(えもんふ)の役職の唐名で、朝倉氏は代々左衛門尉(さえもんのじょう)に任ぜられていた。余談だが関ヶ原で寝返って東軍の勝敗を決定付けた小早川秀秋は金吾中納言と呼ばれた。

また説明板では浅井氏救援のため派遣されたとなっているが、最近の研究では少し違うようだ。
京極氏配下の国人領主に過ぎなかった浅井氏だが、長政の祖父、浅井亮政(すけまさ)の代に主家京極家の内紛に乗じて北近江の実権を掌握。
北近江だけにとどまらず、京極家の本家筋にあたる南近江の(佐々木)六角氏との対立や美濃への内政干渉など亮政の手腕に危機感を感じた朝倉氏が、亮政をけん制するために派兵したとも言われている。

金吾丸跡から急な階段を降りていく。
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10:04 番所跡(ばんしょ)(標高約288m)
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車の場合ここまで。

小谷城の主要部への入口に位置し、間道が集まる要所のため、ここで登城者を検問した。
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先ほどの男性も本丸跡までご一緒することになる。
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男性は若い頃一度登ったことがあるそうだが、今より整備されていなかったのと遙か昔のことなのであまりよく覚えていないとのこと。

御茶屋跡(おちゃや)(標高約310m)
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主要部最初の曲輪で、小さい御殿があったともされる。

各所には標識や道標のほか、このような復元図が設置されているので、縄張りが分かり易い。
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地元朝倉氏の居城だった一乗城山と比べても、格段に整備されている。
見学者やハイカーの立場に立った細かな配慮、福井市も是非見習って欲しいものだ。。。
でも商売上手の近江商人のことだから、いずれ安土山(安土城址)のように有料になるかも。(笑)

馬洗池(うまあらいいけ)
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南北9m×東西6.6mの石組された池で、城内の飲料水を確保する溜め池でもあったとされる。

御馬屋跡(おうまや)(標高約326m)
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以前は木が茂って眺望が良くなかったようだが、最近伐採されて山本山や賤ヶ岳も望めた。

首据石(くびすえいし)
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黒金門跡の手前にあり、天文2(1533)年の六角氏との合戦の際、敵方に内通していた重臣今井秀信の首を据えたと伝わる。

桜馬場跡(さくらばば)(標高約340m)
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御馬屋跡と大広間跡の間にある細長い曲輪。

黒金門跡(くろがねもん)
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桜馬場と大広間の間にあり、黒金(=鉄)の名の通り、鉄板が張られた門だったとされる。

10:17 大広間跡(おおひろま)(標高約344m)
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南北85m、東西35mあり、別名「千畳敷」とも呼ばれる。

小谷城最大の曲輪で御殿や土蔵、井戸の跡が確認されている。
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お市の方や三姉妹たちもここで生活していたのだろうか。

大広間の奥にある本丸へ。
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本丸の土台に残る野面積み(のづらづみ )の石垣。
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10:23 本丸跡(ほんまる)(標高約352m)
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南北40m、東西25mで、南北2段になっており、鐘丸または天守とも呼ばれる。
また国宝彦根城の西の丸三重櫓には、この小谷城天守が使われたとも謂われる。

男性はタイムアップで走って降りていかれた。
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お仕事頑張って下さいね~(笑)

私は先に進むことにする(10:27)
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大堀切跡(おおほりきり)(標高約347m)
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雪が少し残っていた。アイゼンを持ってこなかったが、この先大丈夫かな?

中丸跡(なかのまる)(標高約360m)
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下部の本丸と上部の京極丸との間にあり、主要部と異なり虎口(出入口)が曲輪中央にある。

10:32 京極丸跡(きょうごくまる)(標高約370m)
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亮政が元主家の京極氏を招き、居館にあてがった場所(幽閉?)とされる。
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難攻不落を誇った小谷城だが、天正元(1573)年の小谷攻防戦の際、清水谷(水の手)側から羽柴秀吉(当時はまだ木下秀吉)の部隊が京極丸を急襲し占領。長政の父久政の籠る小丸と本丸を分断し、勝敗を決する契機になった。

小丸跡(こまる)(標高約375m)
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京極丸の上部にあり、浅井久政が自刃した場所とされる。

10:38 山王丸跡(さんのうまる)(標高約398m)
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小谷城最高所の曲輪で、搦め手(非常口)であったとされる。

また今回立ち寄らなかったが、曲輪の東側には大石垣が残っている。
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山頂はまだあんな先か。。。
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山王丸の北側に進むと再び残雪が出てきた。
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登山道は岩場の下り坂になり、しかも残雪がカチカチに凍結。ヤバっ!
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ツボ足では滑落しそうで引き返そうかとも思ったが、凍結箇所はそれほど長くなさそう。
意を決してピンクレンジャーさんばりの5輪駆動(両手両足+お尻)で下っていく。

予想通り凍結箇所は20mほどで終了したが、かなり肝を冷した。
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良い子は真似しないように(笑)

10:47 六坊跡(ろくぼう)(標高約365m)
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久政の時代に江北各所に散らばっていた6つの寺院をここに集めたとされる。
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10:49 清水谷分岐(きよみずだに)(標高約370m)
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左は清水谷(水の手)を経て麓に至る。

ここからは急坂が続くので、立ったまま息を整える。
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はぁはぁ、キツい。。。
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急坂が終わると一旦平坦になるが、再び登り坂が続く。
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山頂に向けての最後の急登
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11:08 小谷山山頂(大嶽城址)(標高494.5m)
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タイムは1時間37分。山頂には誰も居なかった。

三角点(三等・大嶽)と思ってタッチしたが、これは違うようだ。
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後で分かったが、三角点は土塁に囲まれた曲輪の中央にあるそうで、タッチし忘れてしまった(笑)
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これはまた別の機会に。

小谷山頂部は大嶽城(おおづく)とも呼ばれ、初期の小谷城の中心だったとされる。
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小谷城攻防戦の際は、応援部隊の朝倉方が守備していたが、信長軍の攻撃で落城してしまった。

ベンチで昼食にする。今日はカップ麺の天ぷらカレーうどん。
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今日はこの後の予定が詰まっているので、食後早々と下山開始(11:38)
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下りは周回できる南西尾根ルートへ。

こちら側も山頂直下は急斜面になっていて滑り易いので注意。
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トレースはしっかりしており、こんなカワイイ赤テープもあった(笑)
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落ち葉の積もった登山道を軽快に降りていく。
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11:45 山頂まで400m地点
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秀吉は小谷城攻防戦での大手柄により、浅井旧領の湖北三郡を拝領し、城持ち大名となる。
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また不便な小谷から交通の便の良い今浜に城下を移し、信長の一字を貰い”長浜”と改名した。

下っていくと林道と合流(11:52)
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こちらに進むと賤ヶ岳の七本槍の1人、脇坂甚内安治の生誕地に至るらしい。

11:54 福寿丸跡(ふくじゅまる)(標高約280m)
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来援した朝倉氏によって築かれたとされ、名前は居城とした浅井氏一族の浅井福寿庵惟安(これやす)に由来すると謂われる。

左手には登ってきた小谷城址のある南尾根。
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12:05 山崎丸跡(やまざきまる)(標高約230m)
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福寿丸同様、朝倉方によって築かれ、朝倉方の山崎吉家が守備したとされる。

山崎丸を過ぎると植生が常緑樹に変わってきた。
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フェンスが見えてきた。そろそろ登山口か?
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大きな貯水槽が見えると舗装路に変わる。
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清水神社(標高約136m)
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12:17 南西尾根ルート(清水神社)登山口(標高約96m)
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下りは39分。誰とも会わなかった。

歩いてきた小谷山の稜線を見ながら、市道を歩いて駐車場へ。
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清水谷ルートはこの谷を登っていく。

小谷城戦国歴史資料館
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3年前に1度訪れているのでパス。でも300円も取る割には内容が。。。

今日はイイ天気なので、いっぱい伊吹山に登っているんだろうな~
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12:24 江のふるさと館(伊部親水公園)駐車場(標高約95m)
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駐車場を後にし2座目に向かう。。。

今回歩いたコース。
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登山道はしっかり整備されていて、道迷いや危険なところはありません。
ただこの時期は北斜面や谷間には残雪が凍結している箇所もあるので、軽アイゼンは持参した方が良いと思います。
他にも登山ルートがたくさんあり、三角点もタッチし忘れたので、また是非登ってみたい。

(教訓) アイゼンは 重しになっても お守りだ

やっぱり、山っていいね!

小谷山(494.5m)(登り:大手道ルート 下り:南西尾根ルート)
標高差399m
登り 1時間37分、下り 39分、TOTAL 3時間6分

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