若狭国府探訪 後編

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Byよっし~

御食国(みけつくに)若狭国府探訪の後編です。
ポンポンになったお腹で向かったのは、若狭国屈指パワースポット

若狭姫神社(若狭彦神社下社)
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京都に通ずる鯖街道(針畑越)沿いにあり、1度訪れたことがある。
一番のご利益は安産なのだが、今のお腹はまさに妊婦状態です(笑)
 
道路挟んだ反対側にある旧遠敷小学校
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児童数減少のため、松永、国富、遠敷、宮川の四つの小学校が統合(小浜美郷小)されたのに伴い、今年3月に115年の歴史にピリオドが打たれた。

約1.5km先の若狭彦神社(上社・一宮)と対になるヒメヒコ神社で、
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かつては若狭国二宮とされたが、現在は2社合わせて若狭国一宮とされる。。

主祭神は若狭姫大神こと、豊玉姫(豊玉毘売)(とよたまびめ)
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海の神、大綿津見神(おおわたつみのかみ=豊玉彦)の娘で、上社主祭神の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=火遠理命(ほおりのみこと=山幸彦)の妻。
神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと=神武天皇)の祖母にもあたる。

楼門(随神門) (福井県指定有形文化財)
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門の両側に随神(眷属)が4柱ずつ、計8柱鎮座している珍しい型式。

元々若狭彦神社上社と一体で、約4km先の下根来(しもねごり)地区白石に鎮座されていたが、
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養老5(721)年に現在の地に遷座されたとされ、再来年に遷座1300年を迎える。

神門 (福井県指定有形文化財)
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周囲を玉垣がめぐらされている。

本殿 (福井県指定有形文化財)
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間口三間の流造桧皮葺で、屋根に千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)はなし。

神門と一体化し、本殿に続く拝殿
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神紋宝珠に波(水玉)
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上社主祭神の彦火火出見尊(火遠理命=山幸彦)が豊玉姫の父神の大綿津見神から授かった潮を自在に操る玉潮盈珠(しおみつたま)・潮乾珠(しおふるたま)に因む。

古事記 上つ巻 火遠理命(ほおりのみこと) 火照命(ほでりのみこと)の服従
すなわち取り出でて清め洗ひ火遠理命(ほをりのみこと)に奉りし時、その綿津見大神(わたつみおほみかみ)教えへこれ曰(まを)さく。
「此の(ち)を以ち其の(え)に給はむ時、言のありさまは、『此の鉤は、淤煩鉤(おほち)須須鉤(すすち)貧鉤(まぢち)宇流鉤(うるち)と云らして後ろ手に賜へ。しかりて、其の兄、高田を作らば、汝が命(ながみこと)は下田を営り、其の兄下田を作らば、汝が命は高田を営りたまへ。しかせば吾(あ)が掌水(たなみづ)の故、三年の間に必ず其の兄、貧しみを窮めむ。
もし其しかせし事を恨怨みて、攻め戦はば、塩盈珠(しをみつたま)を出でて溺り、もし其愁(うれ)へ請はば、塩乾珠(しほふるたま)を出でて活け、此の如(ごと)惚れ苦しませたまへ。」
と云し、塩盈珠と塩乾珠、あはせて両箇(ふたたま)を授けまつりき。
(現代語訳)
すぐに取り出し、洗い清めて火遠理命に献上した時に、綿津見大神はこのようにお教え申し上げました。
「この釣り針をもって、兄上(=火照命)にお渡しする時、唱える言葉は、『この釣り針は、おほち(心がぼんやりする針)すすち(心が荒む針)まぢち(貧しくなる針)うるち(愚かになる針)と言って、(呪いが跳ね返らないように)後ろ手でお渡しください。 そして、兄上が高田を作るようなら、あなた様は下田を作り、兄上が下田を作るようなら、あなた様は高田を作りなさい。 そうすれば、私が手水を用いることにより、三年の間に必ず兄上は貧窮に陥るでしょう。
そうなったことに、もし怨恨を抱き攻め戦ってくれば、潮満珠を出して溺れさせ、 もし嘆きを訴え哀願してくれば潮乾珠を出して命を助け、このようにして呆然とさせ苦しませなさい。」 と申し上げ、潮満珠と潮乾珠合わせて2つの珠をお授けしました。

インドネシアミクロネシアにもこの釣り針喪失譚と似たような神話が存在することから、これらの海洋民族との交流を通して、南九州に伝わったものとされる。
また大綿津見神は海人(あま)族阿曇氏(あづみうじ)の祖神、火照命は隼人阿多君(あたのきみ)の祖神とされ、この両者を天孫の系譜である天皇家が支配する正統性を示しているともされる。

玉垣に貼ってあったちょっと変わった祈願貼り紙
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『人生は旅』
別居希望、離婚成就、祈願の方、男女問わず、お参りに来られます。

通常の神社では良縁成就家庭円満といった慶事をご利益にするのが一般的だが、若狭姫神社では別居希望離婚成就などの半ば凶事に近い祈願もされているそうだ(笑)
おそらくこれも、記紀の記述に因むものだと思われる。

古事記 上つ巻 火遠理命(ほおりのみこと) 鵜葦草不合命の誕生
ここに海神之女(わたつみのむすめ)、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)自ら参り出で之を曰(まを)さく、 「妾すでに妊身(はら)み、今産まれむ時に臨み、天神之(あまつかみの)御子、海原に生まるべくもあらず、とおもひし故、参り出でたり也。」と曰し、 爾(かれ)、即ちその海辺の波限(なぎさ)に、鵜の羽を以ち葺草(かや)と為し、産殿を造り、ここに其の産殿、未だ葺き合へず、忍ばさらむ御腹(みはら)之を急故(はやみ)、産殿に入り坐(ま)し、爾すでに産むとせし時、其の日子(ひこ)に言を曰さく、
「おほよそ他国(とつくに)の人は産まるる時に臨み、本(もと)の国之の形を以ち産み生なす。故にわれも今、本の身を以ち産み為しまつらむ。願はくはわれを勿(な)見たまふ。」と曰しき。
ここに其の言を奇しく思はし、其の方産むを竊(ぬす)み伺ひたまへ者ば、八尋の和邇と化りて、匍匐ひ委蛇(もとほ)る。 即ち見し驚き畏みて遁(のが)れ退きたまひ、かれ豊玉毘売命其の伺ひ見之めされし事を知り、心恥づと以為(おも)ひ、すなはち其の御子を生み置きまつりて曰さく、「妾恒海道を通ひ往来するを欲ひ、然るに吾形を伺ひ見したまふ是甚く、怍(は)ぢぬるなり。」とまをしき、即ち海坂(うなさか)を塞ぎて返り入りき
これを以ち、其の産之(うまれし)御子を名付けく、 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)と謂ふ。
然る後は其の伺ひし情を雖恨(うらめども)恋心を忍ばず、 其の御子を治め養はむ縁に因り、其の弟(おと※)玉依毘売(たまよりひめ)に附けてこの歌ひ献らしめき。
(現代語訳)
ここに海神(わたつみ)の娘豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)は自ら出てきて、こう申されました。 「私は既に孕み、間もなく産まれようとする時に臨み、天つ神(=火遠理命)の御子を海原に産むなどあってはならないと思い、出てまいりました。」
そして、そのままその海辺のに、(神鳥とされる)鵜の羽を以ってとして、産殿を造りましたが、 その産殿が未だ葺き合わさないまま、これ以上我慢することができず、産気づいて、産殿に入りました。 そして、まさに産まれようとしたとき、日子(=火遠理命)に申し上げました。
 「およそ異国の人は産まれる時に臨み、本国での姿形を以って産みます。そこで私も今は、本当の姿に戻って産むことといたします。お願いですから、決して私の姿を見ないで下さい。」
火遠理命は豊玉毘売命の言葉を不審に思い、まさに産まれようとするところを覗き見したところ、八尋の鰐(大鮫or大ワニ※日本書紀では)と化して四つんばいになり、体をくねらしていました。 それを見て、驚き恐ろしく、そこから遁れ退き、そのため豊玉毘売命は覗き見られたことを知り、 心の底から恥に思い、その御子を産み置き、申し上げました。 「私はこの先も海路を通って往来したいと思っていましたが、私の正体知られてしまったのは、いたく恥ずかしいことでございます。」と申し上げ、 即ち海と陸の境を塞いで、海に入り龍宮へ帰って行きました(=離婚)
この事から、その産まれた御子の名を、 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と言います。
しかる後は、覗き見した火遠理命の心を恨みながらも、火遠理命への恋心は捨てきれず、 御子の乳母役とした玉依毘売(後の鵜葺草葺不合命の妻)に託して、この歌を献上させました。
”勿(な)~たまふ”は、”決して~しないで下さい”という否定懇願の尊敬語。
※古代では弟(おと)は性別に関係なく、”劣る”を意味する年下の兄弟(姉妹)を指しており、男性限定になったのは江戸時代以降とされる。

この神話は鶴女房と同じく、見るなというタブーを犯した伝承で、産婦が新生児とともに産屋で忌に服する日本の習俗に、異類婚姻譚定番ストーリー(援助→来訪→共棲→繁栄→破局別離)が結び付いたものとされる。
でも、見るな!って言われれば、余計に見たくなるのが、男の性(さが)ですよね(笑)

もちろん、健康長寿子孫繁栄のご利益もあります。
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看板の指示に従い、板の上に乗って仰ぎ見る。
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千年杉
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幹周約6m、樹高約30mで、樹齢は約500年とされ、さながら奈良県の石上神宮に伝わる七支刀(国宝)のような枝ぶり。

商売っけ溢れる世俗的な看板もあるが、神々しく気高い空気に包まれた境内。
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なお周囲の社叢(しゃそう)も福井県指定有形文化財

中宮神社(なかのみやじんじゃ)
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御祭神は豊玉毘売命の妹で、のちに鵜葺草葺不合命の妻となる玉依毘売(玉依姫命)(たまよりびめ)

日枝神社(ひえじんじゃ)
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御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)
説明書きには夢彦神社夢姫神社とあり、全国で唯一の夢を司る神社も相殿されているようだ。

乳神さま(大銀杏)
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枝の下から乳根(ちちね)と呼ばれる棍棒状の突起が垂れ下がっており、
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妊婦や母乳が少ない人がこれを祈願すると、豊かな乳を授かるとされる。
でも垂れたのはチョッと・・・(笑)
なお鵜葺草葺不合命生誕の地とされる宮崎県日南市の鵜戸神宮(うどじんぐう)には、母の豊玉毘売命が残していく御子を想い、乳房を貼り付けたとされる御乳岩があり、いずれ訪れてみたい。

男根陽石・女器陰石(子種石)
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右が男根陽石、左が女器陰石だが、風化のせいなのか微妙な形状だった。
女器陰石の説明書きに、「石の窪みにお札を挟まないでください。雨で濡れますので」と書いてあったのには笑ってしまった。お札を挟むのは胸の谷間・・・(自粛)

御神井
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玉守神社(たまもりじんじゃ)
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御祭神は潮盈珠・潮乾珠を守護する玉守明神
玉守明神の詳細な説明はないが、おそらく豊玉毘売命の父、豊玉彦(大綿津見神)かと思われる。

能舞台
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下社を後にし、1.5km先の上社に向かう。

若狭彦神社(上社)
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若狭国一宮で、霊亀元(715)年に下根来地区白石から現在地に遷座されたと伝わる。
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大正期までは神官が上社に常駐していたが、現在は下社に移り不在。

少し薄暗い参道の両脇に生えている2本の大杉が、二之鳥居とされる。
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下社で感じたような世俗的な雰囲気は全くなく、静寂で神秘的な空気が辺りを包んでいる感じ。

楼門(随神門) (福井県指定有形文化財)
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夫婦杉
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下社と異なり誰もおらず、とした空気が肌に突き刺さってくる。
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普段霊的なモノには疎い私だが、昨年末に訪れた伊勢神宮に匹敵する程の霊気を感じた。

手水伏水と呼ばれる自然の湧き水を利用。
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手水の池にはイモリが泳いでいた。
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もしかして本の身(本来の姿)豊玉姫?(笑)
イモリは池の上の木から落ちてくるモリアオガエルの幼虫を待ち構えているそうだ。

この方も泳いでいました(大ウソ)
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今でもTVでお見かけするが、とても50代には見えませんね(笑)

神門 (福井県指定有形文化財)
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本殿 (福井県指定有形文化財)
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間口三間の流造桧皮葺で、屋根の鰹木(かつおぎ)は10本

かつては大社8本中社6本小社4本と鰹木の数が決められており、
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10本は伊勢神宮内宮と並んで最高ランク
ただしその後この規定は廃れてしまい、出雲大社(3本)春日大社(2本)のように小社以下の例もあり、現在は鰹木の有無・本数は各神社独自の判断に委ねられている。
また鰹木が奇数なら男神、偶数なら女神とされるが、これは全くの俗説。

主祭神は豊玉姫の夫の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)で、遠敷明神若狭彦大神とも呼ばれる。
天孫降臨神瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御子神で、火折尊(火遠理命)(ほおりのみこと)とも呼ばれ、一般的には山幸彦の方が有名。
ちなみに神仏習合の本地垂迹(ほんじすいじゃく)では、垂迹神山幸彦本地仏は一般的には文殊菩薩とされ、ホームの文殊山でも同様となっているが、若狭彦大神の場合、なぜか薬師如来が本地仏とされているが、これについて後ほど…

御名にが付くのは、瓊瓊杵尊に不倫を疑われた母、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)が、潔白を証明するため産屋にを放って、照命(ほでりのみこと=山幸彦)・須勢理命(ほすせりのみこと※)・遠理命(ほおりのみこと)の三御子を出産したことに因む(古事記)
※日本書紀では火闌降命(ほのすそりのみこと)と表記され、古事記の火照命と同じ事績が記されており、火照命は登場せずに、代わりに火明命(ほあかりのみこと)が三御子として登場する。

火照は火が盛んに燃える様子、火須勢理は火が弱くなった様子、火遠理は火が消えた様子を表すが、火折尊は稲穂が実って折れてたわむことを表しているともされることから、古事記では天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)とも称される。
※天津日髙は”高天原の天津神”、日子は”日(太陽)神の天照大御神の嫡流”を表す尊称。

なお瓊瓊杵尊から鸕鶿草葺不合尊までの日向三代の正式な尊称(古事記)は下記の通り。
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命
(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)
天津日高日子穂穂手見命
(あまつひこひこほほでみのみこと)
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)
※天邇岐志国邇岐は”天と地が豊かに賑わう様子”で、神祇(天神地祇)の親和的な関わり合いを表わす尊称。

余談だが、日子穂穂手見(古事記)彦火火出見(日本書紀)、どちらも”ひこほほでみのみこと”と読むが、なぜ”みこと”の表記が”命””尊”と違うのか?

古事記では一般的に神全般に”神”が使われ、命令を受けた神には”命”を使っている。
例えばイザナギは、当初伊邪那岐と記されているが、高天原の神々から国生みの命令を受けた後は、伊邪那岐に代わっている。

一方、日本書紀では原則、皇統に関係する神”尊”とし、それ以外の神には”命”を使用。
例えば父景行天皇から遠征を命じられたヤマトタケルノミコトは、古事記では倭建と表記され、仲哀天皇の父でもあるため、日本書紀では日本武と表記される。

ただし、伊弉諾神(いざなぎ)や皇祖神の天照大御神には使われなかったり、直接皇統に関係しないとされるツクヨミが月読尊、スサノオが素戔男尊とも称されるなど例外も多い。
また尊は原則男神・天皇にしか使われないが、神功皇后飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)のように、女帝だったのでは?とされる女性皇族には、気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、忍海飯豊青尊(おしぬみのいいとよあおのみこと)といったように諡号に尊が使われている。

若宮神社
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御祭神は彦火火出見尊の御子神で、神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと=神武天皇)の父神でもある、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)

相殿神は山の神の大山祇神(おおやまつみ)と知恵の神の蟻通神(ありとおしのかみ)
蟻通神は記紀には記述がないが、和歌山県かつらぎ町にある蟻通神社の主祭神が思兼(金)神(おもいかね)なので、おそらく同一ではないかと思われる。
ちなみに思兼神は、天照大御神の岩戸籠りや出雲の国譲り交渉などでの総参謀役。
また瓊瓊杵尊の母方の伯父神で、甥の瓊瓊杵尊の天孫降臨の際に随伴したとされる。

日向三代のトリ、鸕鶿草葺不合尊の登場でようやく、万能である天孫でありながら、寿命があり、海と陸を自由に行き来できない矛盾と、山と海の支配権も手に入れて葦原中国の支配者となるべき正当性が示され、人間である天皇が治める時代へと続いていく。

若狭神宮寺
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天台宗寺院で、山号は霊応山。本尊は和加佐比古(若狭彦)大神の本地仏とされる薬師如来坐像
和銅7(714)年に元正天皇の勅願により、若狭彦神社の神願寺(しんがんじ)として創建。
神願寺とは、神祇(天神地祇=天津神と国津神)に仏教的宗儀をささげるために建立された寺院。

若狭彦神社と異なり参詣料(400円)が必要で、吝嗇家の私は外から鑑賞(笑)
ところで神社はほぼ参拝無料なのに、寺院はなぜ有料が多いのだろう?
どちらも賽銭箱があり、御守り、御札などの副収入もあるのに、寺院は参拝料を徴収。
寺院はご本尊などを拝観できるからという理由もあるだろうが、秘仏と称してレプリカの前立本尊しか見せず、しかもそれすら撮影禁止のところも少なくない。
経済的に苦しいのはどちらも同じだろうだが、神社は経済的見返りが少なくても、人々を見守る高潔さが感じられる反面、寺院は”銭のない方には用はありまへん”のような商売っけがありありと感じられるのは私だけ?(笑)

現在の本堂は朝倉義景公により寄進され、国指定の重要文化財
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神仏双方を祀り、神仏習合を色濃く残している。
毎年3月2日(旧暦2月)に、約1.8km先にある鵜の瀬から東大寺二月堂に水を送るお水送り神事に使われる閼伽水(あかすい)は、この神宮寺境内の閼伽井から汲み上げられる。

鵜の瀬
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遠敷川中流にある淵で、白鵜黒鵜が羽を休めた場所から湧水が溢れ出たことに由来し、
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その水は名水百選にも選ばれている。

案内板の由緒によると、

天平勝宝4(752)年、都(平城京)の東大寺において盛大な大仏開眼供養が行なわれたが、若狭の神願寺(神宮寺)から招かれたインド僧実忠(じっちゅう)和尚が国家の安穏を願い、二月堂を建し、開眼の2ヶ月前の旧暦2月1日から、14日間にも及ぶ修二会(しゅにえ)を始められた。

初日に神名帳が読み上げられ、八百万(やおよろず)の神々が招かれたが、若狭の遠敷明神(若狭彦大神)だけは、釣りに夢中になって姿を見せず、残り2日となった旧暦2月12日深夜にようやく参列された。
遠敷明神は遅参したお詫びとして、若狭より二月堂の本尊へ御香水(こうずい)として、閼伽水(あかすい)を毎年送ると約束され、二月堂の地面を穿ち割ると、白と黒の鵜が翔び出し、その穴から泉が湧き出て、若狭井(閼伽井屋)と名付けられた。

鵜の瀬と若狭井とは地下水路で繋がっているとされ、毎年新暦3月2日の夜、下根来八幡宮の神官や神宮寺僧侶たちが、神宮寺の閼伽井から汲んだ閼伽水(御香水)松明行列で鵜の瀬まで運び、遠敷川に注いで二月堂に送るお水送りが行われる。

全身白装束の僧たちによる送水神事は、まさに炎と白のエクスタシー
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これはKKK(クー・クラックス・クラン)の集会ではありません(笑)

香水は10日間かかって二月堂に辿り着くとされ、3月12日深夜にお水取りが行なわれる。
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この穴の先が二月堂に続いているのかな?

ロマンがない話だが、この送水神事を科学的に検証してみると、

鵜の瀬から東大寺二月堂までの直線距離は約85km
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閼伽水は10日間かかって若狭井に到着するということから、流速(m/秒)
85,000m÷864,000秒=0.09m/秒

通常、河川の河口近くでの流速が0.8m/秒ぐらいなので、1秒に約10㎝だと、澱んでいるぐらいの極めて遅いスピード
しかしこれには納得できる点もある。

出発点の鵜の瀬の標高は約65mだが、終点の二月堂閼伽井屋は標高約140mで、
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単純に両区間を結ぶと逆勾配になってしまう。
区間内の大半は山中だが、終盤に宇治川(標高約67m)と木津川(標高約26m)を横断しないとならないので、これらをギリギリかわし、できるだけ浅い位置で若狭井に辿り着こうとすると、距離85kmで落差40mとなり、勾配率0.047%(0.027度)というほぼ水平に近い水路にならざるを得ず、前述の10日間もかかるスロースピードもあながち間違いではない。

しかし問題は、ようやく閼伽水が辿り着いた若狭井の底標高約25mと想定されるため、二月堂閼伽井屋までの高低差は約115m
完全密閉され圧力が加わった自噴井汲み上げポンプがあるならまだしも、開放型の井戸であれば大気圧の呪縛(最大上昇約10m)から逃れることはできず、縄に付けた桶で汲み上げるにしても深さ約100m非現実的
もしこれを可能としているのなら、それは遠敷明神の御神徳なのだろう(笑)

下根来(しもねごり)地区は良弁(ろうべん)僧正の生誕地(相模、近江出身説も)とされる。
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東大寺初代別当で、修二会を始めた実忠の師。
伝承では、母親が野良仕事の最中、目を離した隙に(鳶という説も)にさらわれて、奈良の二月堂の前の杉(良弁杉)の木に引っかかっているのを法相宗の僧義淵に助けられ、金鐘寺(東大寺の起源)の僧として育てられたと言われる。
お水送り神事の真偽は別として、若狭ゆかりの実忠和尚や良弁僧正が居なければ、現在の東大寺はなかったともされる。

白石神社(しらいしじんじゃ)
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若狭彦神社境外社で、若狭彦神社が現在地に遷座される前に創建された場所とされる。
祭神は白石大神(=若狭彦大神)白鬚大神
白鬚大神はおそらく、白石神社から南東へ約30km離れた滋賀県高島市鵜川にある白鬚神社の祭神、猿田彦大神(=白鬚大明神)だろうと思われる。
白石神社が鵜の瀬で、白鬚神社が鵜川というのもなにか不思議な結び付きがあるとしか思えないのだが…
また京都市山科区小山にも白石神社があり、同様に白石大明神を祀っているのだが、奇妙なことに前述の鵜の瀬から二月堂を結ぶお水送りライン上にあるのは単なる偶然?、それとも何かの意図があるのだろうか?

白石神社の社伝によると、若狭彦(彦火火出見尊)若狭姫(豊玉姫)の2神は、
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8人の眷族を従え、白馬に跨り白雲に乗って、唐人の姿でこの地に天下り、その時に2羽の鵜が迎えたことから、鵜の瀬と呼ばれるようになったとされる。
ここでいう唐人(からびと)とは、韓人もしくは加羅(=伽耶)人で、つまり朝鮮半島からの渡来人を指し、白石神社は新羅(斯盧)神社が訛ったモノとする説も。
※伽耶、加羅は、3~6世紀に朝鮮半島中南部にあり、ヤマト王権の影響下にあった小国家群。
斯盧(しら、しろ)は新羅の建国前の国号。

若狭は古代より半島からの渡来人が多数訪れ、地名にも名残りが多いとされ、
若狭(わかさ)→(韓)ワカソ=行ったり来たり
根来(ねごり)→(韓)ネ・コーリ=汝の故郷
奈良(なら)→(韓)ナラ=国・都

そうなると根来の白石神社は、汝の故郷の新羅(氏)神社の意となる。

前述の和加佐比古大神(白石大神)の本地仏が、文殊菩薩ではなく薬師如来であるのも、同じく薬師如来を本地仏とする素戔男尊(すさのおのみこと)が、前編で触れた御子神の五十猛命(いそたけるのみこと)とともに新羅から日本に戻ったとする日本書紀の記述と何らかの関係があるのではないだろうか?

つまり新羅から行ったり来たり(ワカソ=若狭)して、根来新たな故郷(ネ・コーリ)とした神様が、新羅大神白石大神若狭彦大神と変化し、のちに南方由来の海幸・山幸神話と結び付き、その後皇統の正統性を示すべく天孫降臨神話に取り込まれたのではないだろうか?

うのせでのせ
DSCN7568_20190624170440974.jpg
こんなベタな看板もあった(笑)

今回訪れた若狭姫神社、若狭彦神社、神宮寺、鵜の瀬、白石神社はほぼ一直線上にあり、
そのラインを南に伸ばしていくと、平安京平城京藤原京と続き、熊野本宮に至る。

近畿五芒星を構成する主要レイラインの起点であり、
gobousei.jpg
これについてもいろいろ述べたいところだが、これはまた別の機会に・・・

☆今回のレポに登場する神々
shintouhu02.jpg


やっぱり、神話っていいね!


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