能登七尾歴史探訪② 能登国府を探せ!

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Byよっし~

七尾城山を降りてまだ10時台。
昼食には少し早いので、七尾市内の他の歴史スポットを散策してみよう。

能登国養老2(718)年越前国から、羽咋(はくい)郡能登郡(のちに鹿島郡に改称)、鳳至(ふげし)郡珠洲(すず)郡の4郡が分立して成立
天平13(741)年に越中国に併合され一時消滅したが、天平宝字元(757)年に再び分立する。

能登国總(総)社
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昨年(2018年)が能登国建国1300年だったので、本当は昨年来たかったのだが…

ちなみに加賀国はまだ成立しておらず、越前国から江沼郡と加賀郡の2郡を分離して、弘仁14(823)年に令制国のドン尻として成立したので、4年後の2023(令和5)年加賀国建国1200年
なお我が越前国は明確な成立年が不明で、大宝律令成立の大宝元(701)年頃とされる。
 
古代の国司最重要業務祭祀であり、神々の怒りによる災厄を起こさせないよう、
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領国内の主要な神社決められた順番で、年に何回か巡拝する職務(部内巡行)があった。
例えば旧暦2月の祈年祭(としごいのまつり)の際には、天皇から国司を通じて地方の主要な神社に幣帛(へいはく)が下賜された。

これは地方豪族のアイデンティティとも言うべき守り神(氏社)を、天皇の名代である国司が巡ることで、豪族たちに擦り寄りつつも睨みを効かし、朝廷に従わせることでもあった。
国司が最初に巡拝した神社が一宮とされ、2番目が二宮、3番目が三宮になったとされる。
能登国の一宮が氣多大社(けたたいしゃ)、二宮が伊須流岐比古神社(いするぎびこじんじゃ)

だが領国内には数多くの有力神社があり、能登国だけでも40座以上もあったので、これを年に何回も巡るのは費用や労力が嵩むだけでなく、馬や船しか移動手段がなかった当時は至難の業
しかも平安期に入ると巡拝がおろそかになり、豪族への抑えが低下したり、飢饉や水害などの自然災害が多発すると、神々の怒りを招いた国司の管理不行き届きとされかねなかった。

そこでできたのが、主要神社の祭神を国府近くに合祀する總社(惣社)という制度。
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官営神社を創建して1ヶ所に纏めたことで、国司が参拝することが容易となった。
例えるなら、四国八十八箇所全霊場の砂を1ヶ所に集め、巡礼したのと同じ功徳があるとされるお砂踏みみたいなものだろう。

能登国魂(くにたま)神社とも呼ばれ、大穴持命(おおあなもち=大国主神)を祀っていたが、
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天元3(980)年に赴任した源順(みなもとのしたごう)が、能登國式内43座勧進合祀して再建。
明治40(1907)年には大穴持命の御子神の建御名方神(たけみなかた)も諏訪大社より勧進された。

縁起によると、大穴持命が能登国に臨幸巡国経営の際に神恩を仰ぎ、その御座された石を御神体と崇め、社殿を建立したのがその創始であるとされる。

拝殿脇にあった大岩。これがその御神体?
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表面に何やら文様らしきモノがあり、漢字伝来前の神代文字のようにも見えるが果たして…

余談だが、能登国が属していた高志(越)国(=北陸)には大国主神を始めとする出雲系の神々を祀った神社が意外と多く、史書でも度々高志の地名が出てくる。

大国主神の祖神とされる須佐之男命(すさのおのみこと)が退治したヤマタノオロチ(八岐大蛇)は、古事記では高志之八俣遠呂智”と記され、高志から出雲に来たと記されている。
ちなみにヤマタノオロチは氾濫する斐伊川を暗喩しているともされるが、越前(福井県)にも”九つの頭を持つ竜”の意の九頭竜川という大河があり、その中流域はかつて高志地区と呼ばれていたのは単なる偶然だろうか?

出雲国風土記が伝える国引き神話では、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が高志の都都(つつ)の三埼”を引いてきて、三穂の埼(美保関) を造ったとされる。
高志の都都の三埼は、能登半島先端の珠洲(すず)市にある禄剛崎(ろっこうさき)とされる。

先代旧事本紀で建御名方神の母とされる高志沼河姫”(こしのぬなかわひめ)は、越後、現在の新潟県糸魚川の出身とされる。手速比咩命(てはやひめのみこと)とも称され、能登では宝達志水町にある手速比咩神社に祀られている。

さらに建御名方神は天津神による葦原中国割譲要求、いわゆる国譲りの際、使者の建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)にフルボッコにされ、命辛々州羽海(=諏訪湖)まで逃れるが、その際の逃避行ルートが海路で高志を通過したとされている。

これらの記述から古代より出雲と高志(越)は、日本海を通じた密接なネットワークを形成していたのは間違いなく、そこで発生した出来事が神話として伝承されたのであろう。
これらについては持論があり、もっと語りたいところだが、長くなってしまうので別の機会に。

本殿は覆屋で見えないが、一間社流造・杮(こけら)葺きで七尾市の有形文化財に指定。
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拝殿は平入切妻造なので、想像するに権現造になっていると思われる。

また社蔵の三十六歌仙額三十六面も同文化財に指定。
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恐らくこれは總社を創建した国司の源順が、三十六歌仙の1人だったからであろう。

嵯峨天皇の流れ(嵯峨源氏)をくむ源順は、無位無官の下級貴族だったが、若い頃から博学として名を馳せ、20代にして日本初の分類体辞典である和名類聚抄(和名抄)を編纂。
今でいう漢和辞書&百科事典のようなモノで、当時貴族のたしなみだった漢詩や和歌を作る上での指南書として大変重宝された。
また和歌にも造詣が深く、40歳の時に和歌所の寄人(よりうど)となり、有名な梨壺の五人の一人として万葉集の附訓作業や後撰和歌集の撰集作業にも従事した。
漢文万葉仮名と呼ばれる当て字だらけの万葉集は、当時でも難解な暗号だったようで、順たちはこれに訓点を付けることで誰でも容易に読めるようにしたとされ、もし彼らの偉業が無ければ、新元号の令和も生れなかった可能性もあったのかも。

源順 三十六歌仙図額(狩野長信)
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水の面(おも)に 照る月浪(つきなみ)を かぞふれば
今宵ぞ秋の 最中(もなか)なりける
 (拾遺和歌集)
(解釈)
さざ波が立つ池の水面に照り映る月を見て、月日を数えて見れば、今宵は秋の最中(八月十五夜)であった。
※月浪は波立つ池に映る月で、月並(つきなみ)を掛けてある。
※秋の最中(もなか)とは秋の真ん中で、旧暦の8月15日にあたる。
この最中の月が和菓子のもなかの語源となり、もなかの形が概ね丸いのも満月を象ったからだとされる。


他にも竹取物語の作者だという説もあり、これだけ稀有な才能と実績を持つ源順だったが、当時既に藤原氏が幅を利かせており、出世には縁遠く、ようやく初任官(従六位下・勘解由判官)したのは45歳の時(平安時代の平均寿命は約35歳)で、能登守(国司)に補任(ぶにん)されたのは、なんと70歳だった。
そりゃ70歳だったら、領内の43座を巡拝するのは厳しく、總社に纏めたくもなるだろう(笑)

能登に国司として下向する前に読んだ惜別の歌
越の海に むれは居るとも 都鳥 みやこの方ぞ 恋しかるべき
まつ人も  見えぬは夏も 白雪や なほふりしける  越のしらやま(=白山)
神の座す 気多(=氣多大社)の深山木 繁くとも わきて祈らむ 君が千載を


令制国は国力(大国・上国・中国・下国)と、畿内からの距離(近国・中国・遠国)で等級分けされており、中国・中国だった能登国司(能登守)は令制国の格で言うと閑職で、しかも70歳という超高齢での赴任は、都とは今生の別れとなる左遷に近い片道切符だった。事実、赴任から3年後の永観元(983)年に能登でする。

力石(盤持石)
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説明板によると、幕末を最盛期として農村地域において、盤持俵担ぎなどの力比べが行われ、大正7(1918)年に唐戸山(相撲)大関となった中の戸が、この壱石盤(約150kg)を軽々と差し上げたと伝えられる。
私もチャレンジしてみたが、ビクともしませんでした(笑)

ちなみに唐戸山相撲は羽咋神社の祭神である磐衝別命(いわつくわけのみこと)に奉納される相撲神事で、磐衝別命は野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)に日本で最初に相撲をとらせたとされる第11代垂仁天皇の第10皇子で、羽咋氏三尾氏の祖とされる。
なお継体天皇の母振姫は三尾氏の出身とされ、越前(福井県)にはあわら市の御簾尾(みすのお)や福井市の三尾野町(みおのちょう)などの地名が残っている。


能登国總社 七尾市古府町キ22


続いて向かったのは能登国分寺跡(国史跡)
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国分寺は、天平13(741)年に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために、各令制国に建立を命じた官営寺院で、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。

号令一下、速やかに国分寺が建てられたと思いきや、越中国に編入されていたこともあり、
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聖武天皇の詔勅から遅れること約100年後の承和10(843)年に、能登国司春枝王(はるえおう)が飛鳥時代末期に建てられた大興寺を昇格させて誕生したとされる。

昭和45(1970)年から発掘調査が行われ、昭和49(1974)年に国史跡に指定。
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その後整備されて、平成4(1992)年に能登国分寺公園として一般開放された。

南門・塀
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桁行3間(約8.4m)、梁行2間(約5.4m)、高さ約6.3mあったとされ、整備事業の一環として全国に残る国分寺跡の中で初めて復元された。

には能登特産で、石川県の木でもあるアテの木(=ヒノキアスナロ)が使われ、
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釘を一本も使わずに組立られ、古代色の赤い朱を塗って仕上げてある。

国分寺を囲むは、南北162m東西258mにも及び、4.2mごとに柱があったとされる。
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また塀の周りを幅約2mのが囲んでおり、防衛施設さながらの機能を有していたことも判明。

中門跡
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桁行3間(約7.3m)、梁行2間(約4.3m)、高さ約11mの楼門があったとされる。

回廊跡
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主要な伽藍を巡る長い廊下で、桁行9尺(約2.7m)、梁行13尺(約3.9m)、全長約262mにも及ぶ。

塔跡
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1辺約4.5m、高さ約25mの小規模な五重塔があったと推定されている。

金堂跡
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桁行5間(約15m)、梁行4間(約11m)、高さ約12mの金堂があったとされ、薬師如来などの仏像を安置し、国分寺で最も重要な建物だったとされる。

講堂跡
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国分寺のほぼ中央に位置し、桁行7間(約21m)、梁行4間(約12m)、高さ約10mと国分寺で最も大きい構造物だったとされる。

これらを復元した模型で、法起寺式伽藍配置とされる。
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中世に入ると次第に衰退し、天正5(1577)年、庇護者の畠山氏滅亡とともに廃寺となる。
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だがここまでしっかり遺構が残っているのは北陸では、能登・若狭・越中・佐渡の4国のみ。
越前や加賀は一向宗門徒により徹底的に破壊され、越前に至ってはどこにあったかすら分かっていない。


能登国分寺公園 七尾市国分町及び古府町


總社から国分寺跡にかけての一帯は古府町(ふるこまち)と呼ばれる。
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上古府下古府などの小字や、近くには国分町(こくぶまち)国下町(こくがまち)という地名も残るので、この一帯に代の国があったと推測でき、それが縮まって古府になったと思われる。
なお越中国の国府だった富山県高岡市にも同名の古府という地名が残るが、こちらはそのまま”こふ”と読むそうだ。

奇しくも能登国司となった源順が青年期に著した和名類聚抄に、各国の国府所在郡が記されており、「能登国国府在能登郡」とあるが、具体的な所在地は不明
前述のように70歳という高齢による負担軽減のため、国府近くに能登国總社を創建したとみるのが普通で、また国分寺は国司の監督下にあったため、こちらも国府近くにあった大興寺が選ばれたのはほぼ間違いないだろう。

ただし気になったのは、古府町から1kmほどにある国下町(こくがまち)という地名。
一見府の(しも)から成立した地名と考えがちだが、古府の小字の上古府、下古府だと、下古府の方がで、近くを流れる大谷川の下流となっている。
国下町は、国分寺近くを流れる御祓川の支流、笠師川の上流であり、川の上流下流の論理や都を上と考えると国上町にしないとおかしい。

そこで着目したのが、”こくが”という読み。
歴史に詳しい人ならピンとくるのが、国衙(こくが)
国府の中心となる政務機関の役所群国衙と呼ばれ、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設が国庁(政庁)と呼ばれた。

つまり国衙という難読な地名がいつしか国下に変化したのではないだろうか?

これで一件落着といきたいところだが、実はそう簡単ではない…

古府から北へ1kmほどいった先には、本府中町(もとふちゅうまち)という地名があり、
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しかもこれから向かう印鑰(いんにゃく)神社付近は、府中町(ふちゅうまち)と呼ばれる。
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古府、本府中、府中となんだか訳がわからない有様だ(笑)

この日は偶然にも、源順が始めたとされる青柏祭(せいはくさい)初日(宵山)で、
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印鑰神社前でも通行規制がされていた。

印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)(標高約1m)
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印鑰(いんにゃく・いんやく)とは、国衙印(璽)(いん(じ))と国衙正倉鑰(=鍵)(やく)のことで、駅鈴(えきれい)などと同様に国司が国務を執行する際の最も重要なものとされた。

祭神は宗像三女神の1人、市杵嶋姫命(いちきしまひめ)
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天照大神と素戔男尊の誓約(うけい)の際に生まれた神で、航海の安全などを司る。

印鑰神社由緒
養老3(719)年國府を七尾港付近に設け、港の守護神と鎮祭し、能登國國衙の印璽を保管した由来から印鑰神社と称す。戦國の爭乱天難を土中にさけ、文緑年中(1593~96)赤間田より地主両川市左エ門、郡奉行三輪藤兵衛の夢告により出土し、慶長2(1597)年大手町、寛永16(1639)年府中町と府中村の入会浜に移転、文政8(1825)年現地に遷宮す。


由緒では養老3(719)年七尾港付近に国府を設け、能登國國衙の印璽を保管したとあり、
これで一気に古府説国下説が否定されてしまいそうだが、反論の余地は多分にある。

七尾市街地土地分類図
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地理院地図で標高分布を加えて作成。

この地図を見て分かるように、能登国總社(標高約36m)や能登国分寺跡(標高約15m)といった能登国の中心的施設は、いずれも標高10m以上高台に築かれている。
現在の中心市街地は軒並み高3m以下低地に存在し、現在のような堤防・灌漑技術がない古代においては、潮の満ち引きに左右される浅瀬か、葦などが生い茂る湿地だったと思われ、標高約1mしかない現在の印鑰神社は、間違いなく海の中だったはず。
現在の印鑰神社(府中町)の位置に国衙があったのは、まずあり得ないだろう。

当時はもっと内陸部まで海岸線が迫っており、七尾港は鹿嶋津(かしまづ 香嶋津、加嶋津とも表記)と呼ばれ、現在の位置とは異なる。

ちなみに天平18(746)年、万葉集の編者として有名な大伴家持(おおとものやかもち)は、越中守(国司)として赴任。併合されていた能登にも巡行し、鹿嶋津にも立ち寄り歌を残している。

香島より 熊木をさして 漕ぐ舟の 梶取る間なく 都し思ほゆ (万葉集)
(解釈)
香島(=鹿嶋)から熊来(=熊木、現在の能登中島付近)を目指して漕ぐ舟の、舵を握る手を休める間もなく、ただただのことが思われてならない。
(背景)
家持の越中守在任中(746~751年)、都では聖武天皇の伯母で先帝の元正上皇が重篤で、天平20(748)年に崩御。また聖武天皇も盧遮那仏建立に傾倒するあまり、天平勝宝元(749)年勝手に出家し、娘の孝謙天皇に譲位するなど激動の状況だった。

上記の地図データから、飛鳥時代から奈良時代にかけての古代の海岸線標高3~5mのエリア、つまり現在のJR七尾駅からR160の郡町(こおりまち)付近にかけてだったろうと推測できる。

事実、矢田町(やたまち)にある矢田高木森古墳(標高約4m)は、全長約59mの小型の前方後円墳で、6世紀初頭の造営とされており、また万行町(まんぎょうまち)の万行遺跡(標高約10m)は、古墳時代前期(3世紀後半~4世紀初頭)の遺跡で、倉庫とみられる日本最大級巨大な掘立柱建物跡が発見されている。
これらはいずれも標高3m以上の黄緑や緑部分にあり、特に万行遺跡は港に面した倉庫群だったと考えると、スムーズに納得がいく。

郡町は能登国造の末裔の能登臣(のとのおみ)が治めた、能登郡の郡衙(ぐんが)に由来する地名と思われ、万行遺跡にかけての一帯が鹿嶋津港であったと思われる。

古くから能登臣の拠点であったこのエリアに、国衙を造営することは果たして可能だろうか?

物理的に土地の確保が難しいだけでなく、感情的にも自分のテリトリーの中枢に後からズカズカとやってきて、国衙を置かれるのは嫌だろうし、国司側もやり難いと想像できる。
やはり律令期の国衙は、古府町から国下町付近に置かれたとみるのが正しいのではないだろうか?

その後中世から近世にかけて、河川による土砂の堆積や干拓により、市街地が沖に向けて拡大していったものと考えられる。

本府中町はおそらく中世の守護所(畠山氏)があった場所と思われ、その後七尾城廃城後、政治経済の中心が現在の海岸部の府中町付近まで拡大し、このような類似した地名が作られたのではないかと思う。

更なる発掘調査や新たな史料の発見で、事実が明らかになるのを期待したい。

印鑰神社 七尾市府中町223


夜9時からの宵山に向けて、業者の方や氏子さんたちが慌ただしく準備されていた。
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青柏祭でか山と呼ばれる巨大な曳山(山車)
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北前船を模したと言われ、山車の高さ約12m、上部の開き(長さ)約13m、幅・上部約4.5m、下部(車輪間)約3.6m、車輪の直径約1.9m、幅約0.6m、総重量約20トン。
曳山としては日本最大級で、体積・重量では日本一である。
なおでか山の修繕は、優れた船大工の技能を活かして市内の造船業者が行なうそうだ。

車輪と作業員を比べると、その大きさが一目瞭然。
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北前船というより、なんかトロイの木馬のようだな(笑)
こんなデカいものをどこに保管するのかと思ったら、毎年分解されて約1ヶ月かけて組み立てられるそうだ。

2016年にはユネスコの無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」にも登録された。
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続いて向かったのは、山王町にある大地主神社(おおとこぬしじんじゃ)
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現在の社殿は、天正10(1582)年に七尾城主の前田利家が再建したとされる。

養老3(719)年、能登国の守護神(能府地主)として、山王社(日吉大社)の分霊を勧請して創建。
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主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、素戔男尊(すさのおのみこと)、伊許保止命(いこほとのみこと)の3神。
大山咋神は須佐之男命と大山津見神の娘との間に生まれた大年神(おおとしのかみ)の子とされ、日吉大社東本宮の主祭神。
伊許保止命は記紀には登場せず、先代旧事本紀で安房(阿波)国造の祖として登場する神。

ただし現在の場所は前述の七尾市街地土地分類図を見る限り、養老期には湿地帯だったと思われ、当初はもう少し内陸部にあり、陸地が沖合いに広がるにつれ、現在の場所に遷座されたのではないかと思われる。

明治15(1882)年、山王社と祇園牛頭天王社(八坂神社から勧請)を統合し大地主神社と改称。
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荒ぶる神の素戔男尊は、仏教の守護神で人身牛頭の荒ぶる神の牛頭天王(ごずてんのう)と習合した。

大地主神社は青柏祭を主管し、7月14日には祇園祭も開催される。
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大地主神社は先ほどの印鑰神社の本務神社(宮司が兼務)

境内にある登口神社
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てっきりに関連する社で、大山津見神(おおやまつみ)辺りを祀っているのかと思いきや、
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白狼の神しゅけんという聞き馴れない神を祀っているようだ。

その昔、七尾の山王神社(現在の大地主神社)に、毎年一人の美しい娘を人身御供として差し出す習慣があった。ある年に、白羽の矢が立った家の家主が娘の命を助けたいと思い、深夜に社殿に忍び込んでみたところ、大猿(ひひ)「娘を喰う祭りの日が近づいたが、越後の”しゅけん”は俺がここにいることを何も知るまい。」と呟いていた。そこで、娘の父親は、”しゅけん”という名を頼りに急いで越後へ向かい、”しゅけん”に助けを求めた。”しゅけん”は全身真っ白な毛の狼だった。
その狼の話によると、昔3匹の大猿(日光東照宮に描かれている”見猿、聞か猿、言わ猿”のことだとも言われている)が他国から越後に来て人々に害を与えたため、”しゅけん”が2匹まで噛み殺したが1匹を逃がしてしまい、行方が分からなくなった。その1匹が能登に隠れていたと知った”しゅけん”は娘の父親を背中に乗せ、海の上を鳥のように飛んで七尾へ到着、祭りの日、娘の身代わりになって唐櫃に入り神前に供えられた。
その夜、暴風雨で荒れ、両者の格闘する壮絶な物音が聞こえた。翌朝、人々が行ってみると、両者は相打ちで冷たい骸となり倒れていた。人々は”しゅけん”を手厚く葬り、また、大猿のたたりを恐れて、3台の山車(鍛冶町・府中町・魚町)が奉納され、これが青柏祭の起源になったとされる。

でか山って、3匹の大猿の祟り封じだったんだ。
日吉大社(山王権現)は猿を神の使いとしており、犬猿の仲の猿と犬(狼)を同じ境内に祀って大丈夫なのかな?(笑)

境内には他にも金毘羅神社鍛冶神社道知神社といった摂末社がある。
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画像奥の鍛冶神社は、恐らく鍛冶町が隣接しているので、京の粟田神社の末社で、製鉄の神の天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と、刀工の三条小鍛冶宗近粟田口藤四郎吉光を祀る鍛冶神社を勧進したものと思われる。

この方が祭神です(大ウソ)
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大地主神社 七尾市山王町1-13


宵山を待つ鍛冶町でか山
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朝からまだ何も食べておらず、お腹が減ったよ~

もう少しだけ続きます。

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Comments 2

よっしー  

よっし~さん こんにちは!!

よっし~さんは学生時代日本史でも学んでいたのでしょうか?
いつもとってもお詳しいですよね。 今回もすごい情報量!
私は七尾出身ではないので七尾の歴史は詳しくないのですが、生粋の七尾の街の子Kちゃんも「しらんしらん」と言って笑っていました。
でか山の起源のお話 大変勉強になりました。

2019/05/14 (Tue) 16:13 | EDIT | REPLY |   

よっし~  

Re: タイトルなし

よっしーさん こんにちは

長文の駄文をお読みいただき、お疲れ様でした(笑)

学生時代は日本史ではありませんが、似たようなものを学んでいました。
どちらかと言うと日本史は苦手な方でした。

K子さんといえば、昨年「能登建国1300年の写真展」で最優秀賞を受賞されたんですよね。
私から言わせると、そちらの方が遥かに凄いと思います。

でか山の宵山も見たかったんですが、予定があったので諦めました。
いつの日か見てみたいと思います。

2019/05/15 (Wed) 10:38 | EDIT | REPLY |   

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文殊山 (244)
二上コース (129)
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